大間木水神社。見沼通船堀が開通後の享保17年創建

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大間木水神社。さいたま市緑区大間木の神社

大間木水神社の概要

大間木水神社は、さいたま市緑区大間木にある神社です。大間木水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保17年(1732)6月に創建したと伝えられるといいます。

大間木水神社
大間木水神社の概要
社号 水神社
祭神 罔象女命
相殿 -
境内社 稲荷
住所 さいたま市緑区大間木2395
祭日 -
備考 -



大間木水神社の由緒

大間木水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保17年(1732)6月に創建したと伝えられるといいます。

新編武蔵風土記稿による大間木水神社の由緒

記載なし。

「埼玉の神社」による大間木水神社の由緒

水神社(大間木2395)
境内のすぐ脇を流れる見沼通船堀は、見沼代用水開削後間もなくの享保十五年(一七三〇)、井沢弥惣兵衛為永により設計され、翌十六年に竣工した。東・西代用水と中悪水(芝川)の間に、堀を穿って連絡させ、代用水周辺の村々から江戸へ米や野菜を運ぶための舟運の便を図ったものであった。
『明細帳』には「創立享保十七子年(一七三二)六月其他不詳」と載るが、恐らくは、通船堀の完成に際し、同所に携わる船頭や船子・積荷人夫などが、舟運の安全を祈願して祀ったものであろう。通船堀は、途中に設けられた閘門を操作して水位を調節するため、不慣れな船頭は土手に船腹を衝突させてしまうなど、船の舵取りは容易ではなかったという。
境内の昭和四年に建てられた再建記念碑の碑文によると、明治期に至るまで、通船裾は井沢弥惣兵衛に従って開発にかかわった高田家が管理してきたが、大正二年、鈴木順太郎・岡村俊太郎・小嶋藤七各氏の尽力によって、当地の船子連が払い下げを受け、同時に当社地も、鈴木氏以下二五名の所有となった。大正十二年の関東大震災の折に、本殿が全壊すると、船子連は翌々十四年には再建し、同年四月三日に遷宮式を行ったと記されている。(「埼玉の神社」より)

さいたま市掲示による大間木水神社の由緒

水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保十七年(一七三二)六月の創建と伝わります。祭神は、水の神である罔象女命をお祀りしています。
享保十六年、伊沢弥惣兵衛為永によって開削された見沼通船堀が開通し、江戸と見沼代用水路縁辺の村々との物資輸送が可能になりました。船は、大用水路縁辺の河岸で荷物(江戸時代においては年貢米が主でした)を積んで江戸へ行き、帰りは肥料、塩、避けなどの商品を積んできました。荷物の積みおろしをする河岸場は、芝川と東西の用水路沿いに五十九カ所あり、ここ八丁にも河岸場がありました。八丁河岸周辺には、河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水神社は、そのような仕事につく人たちが、水難防止を祈願して祈ったものです。
なお、本殿は大正十二年九月一日の大地震により全壊し、同十三年に再建されたものです。また、境内は国の史跡「見沼通船堀」の一部になっています。(さいたま市掲示より)


大間木水神社の周辺図


参考資料

  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)