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大牧浅間神社。さいたま市緑区大牧の神社

大牧浅間神社の概要

大牧浅間神社は、さいたま市緑区大牧にある神社です。大牧浅間神社は、武田信玄の娘見性院(元和8年1622年没)がなくなった2年後の寛永元年(1624)に、見性院の菩提寺である清泰寺境内であった当地に創建したといいます。

大牧浅間神社
大牧浅間神社の概要
社号 浅間神社
祭神 木花咲耶姫命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市緑区大牧1485
祭日 例大祭7月1日
備考 -



大牧浅間神社の由緒

大牧浅間神社は、武田信玄の娘見性院(元和8年1622年没)がなくなった2年後の寛永元年(1624)に、見性院の菩提寺である清泰寺境内であった当地に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による大牧浅間神社の由緒

(大牧村)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大牧浅間神社の由緒

浅間神社<浦和市大牧一四八五(大牧字梅所)>
大牧は、武田信玄の娘で、二代将軍秀忠の子幸松丸(のちの保科正之)を養育したことで知られる見性院が、慶長年間(一五九六~一六一五)ごろに徳川家康から領地として賜った所であり、地内の清泰寺にはその墓所(県指定旧跡)がある。この見性院は、武田一族である穴山梅雪の後室となった人物であるため、当社の鎮座する梅所という字の名は、梅雪にちなんだものではないかと思われる。
この大牧の地に当社が祀られた背景には、こうした甲斐武田氏との関係の深さが第一に挙げられる。浅間神社は、甲斐国(現山梨県)一宮で、武田信玄の奉寶を受け、徳川家康からも社領安堵されたことで知られている。見性院は元和八年(一六二二)に没し、『明細帳』に当社はその二年後の寛永元年(一六二四)六月一日の創立とあることから、亡き見性院の墓所を護るため、縁のある甲斐国一宮を往時清泰寺の地所であったとされる高台の現在地に勧請したものではないかと考えられる。したがって、清泰寺とのつながりも深く、昭和三十年ごろまでは七月一日の祭典終了後には神饌の鏡餅の上供を清泰寺に持参するのが習いとなっていた。また、清泰寺境内にある三五〇基もの庚申塔の内三〇〇基は万延元庚申年(一八六〇)銘で、この年は富士山の御縁年に当たることから、当時御縁年と庚申待とが結びついて建てられたものであろう。ちなみに、当社は富士山の方角を向いている。(「埼玉の神社」より)


大牧浅間神社の周辺図

参考資料
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)