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下山口新田稲荷社。さいたま市緑区下山口新田の神社

下山口新田稲荷社の概要

下山口新田稲荷社は、さいたま市緑区下山口新田にある神社です。下山口新田稲荷社は、享保13年(1728)に江戸小田原町鯉屋藤左衛門が新田開拓に60年ほど要し、完成した寛政3年(1791)に勧請、明治6年村社に列格したといいます。

下山口新田稲荷社
下山口新田稲荷社の概要
社号 稲荷社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市緑区下山口新田1914
祭日 -
備考 -



下山口新田稲荷社の由緒

下山口新田稲荷社は、享保13年(1728)に江戸小田原町鯉屋藤左衛門が新田開拓に60年ほど要し、完成した寛政3年(1791)に勧請、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による下山口新田稲荷社の由緒

(下山口新田)稲荷社
鎮守なり、村民の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下山口新田稲荷社の由緒

稲荷社<浦和市下山口新田一八(下山口新田字八町下)>
当地は、江戸中期に開発された見沼新田の内の一つである。『風土記稿』下山口新田村の項に『女体権現御旅所跡 土人の話に此開発の以前、沼中に祭竹と号せるものを立て、三室女体の御旅所とせり、(以下略)」と載るように、まだ沼地であったころには、三室氷川女体神社が隔年の九月八日に行ったという御船祭の御旅所が置かれていた。それを示す祭竹や古銭・磁器片が発掘調査でも数多く発見されている。
当地の開発は、享保十三年(一七二八)に江戸小田原町鯉屋藤左衛門が入り、六十年余りの難工事の末にようやく成し遂げられたものである。新田名はその功により鯉屋の姓である山口を当てたという。
本殿内には稲荷大明神像のほかに、勧請の添簡も残されており、それには、寛政三年(一七九一)初春吉辰に関平八・沼口以兵衛両名をはじめとした氏子中の願いにより、京都伏見大社から正一位稲荷大明神を分霊することの許しを受けた旨が記されている。当地が悪水の集まり易い土地であったため、その開発が難航を極めたことから、ようやく農作も安定し始めたと思われる同年に村の繁栄を願い奉斎したものであろう。
当社は『風土記稿』に「稲荷社 鎮守なり、村民の持、地蔵堂」と載り、やがて明治六年に村社に列した。(「埼玉の神社」より)


下山口新田稲荷社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)