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寺山天神社。さいたま市緑区寺山の神社

寺山天神社の概要

寺山天神社は、さいたま市緑区寺山にある神社です。寺山天神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて極楽寺があったものの、岩槻城落城に際して天正18年(1590)に廃寺となり、その後寺山村として村落が成立したことから、江戸時代初期に創建したのではないかといい、明治6年村社に列格したといいます。

寺山天神社
寺山天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市緑区寺山1112
祭日 -
備考 -



寺山天神社の由緒

寺山天神社の創建年代等は不詳ながら、当地にはかつて極楽寺があったものの、岩槻城落城に際して天正18年(1590)に廃寺となり、その後寺山村として村落が成立したことから、江戸時代初期に創建したのではないかといい、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による寺山天神社の由緒

(寺山村)天神社
村の鎮守なり。
末社。疱瘡神社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による寺山天神社の由緒

天神社<浦和市寺山一一一二(寺山字本村)>
寺山の地名は、かつてそこに極楽寺という伽藍があったことにちなむものといわれている。この辺りは太田氏の領地であったため、極楽寺は天正十八年(一五九〇)の岩槻城の落城の際、兵火のために灰燼に帰し、現在の村落はその後開発されたものである。したがって、寺山の鎮守である当社は、岩槻落城後の村の開発に伴い、江戸時代の初期に創建されたものと推測される。
創建時の様子は、残念ながら記録がないために明らかではないが、江戸時代には本山派修験の覚蓮寺が別当であった。この覚蓮寺は、中尾村玉林院の配下で、長徳元年(九九五)の草創と伝える古刹であったが、修験道の禁止によって明治初年に廃寺のなった。当社の入口に建つ石鳥居の柱には、「奉新建立天満宮村中大小氏子一同成就 別当覚蓮寺」という銘があるが、これは、そうした神仏混淆当時の唯一の名残である。なお覚蓮寺の跡地は、当社の西方約六〇〇メートルの所である。
神仏分離後は、明治六年に村社となり、同三十三年に本殿の改築と拝殿の新築を行った。内陣には、黒漆塗りの厨子に納められた像高二一センチメートルの天満天神座像が安置されており、その台座の底部にある墨書から、この像は天明六年(一七八六)に江戸浅草の仏師の三柳清八郎によって作られたものであることがわかる。(「埼玉の神社」より)


寺山天神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)