鷲神社。さいたま市緑区南部領辻の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

鷲神社。新羅三郎義光が神楽を奏上した跡地

鷲神社の概要

鷲神社は、さいたま市緑区南部領辻にある神社です。鷲神社の創建年代等は不詳ながら、新羅三郎義光が奥州下向の途次、当地で奇瑞を感じたことから神楽を奏上、跡地に祠を建てて鷲明神を奉斎したと伝えられるといいます。江戸期には辻村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格、明治41年に字西原の雷電社、字原山の稲荷社、字辻の稲荷社を合祀しています。

鷲神社
鷲神社の概要
社号 鷲神社
祭神 日本武尊
相殿 -
境内社 稲荷社、大六天二社・稲荷社・水神社・恵比寿大黒二社
住所 さいたま市緑区南部領辻2914
祭日 -
備考 -



鷲神社の由緒

鷲神社の創建年代等は不詳ながら、新羅三郎義光が奥州下向の途次、当地で奇瑞を感じたことから神楽を奏上、跡地に祠を建てて鷲明神を奉斎したと伝えられるといいます。江戸期には辻村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格、明治41年に字西原の雷電社、字原山の稲荷社、字辻の稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による鷲神社の由緒

(辻村)鷲大明神社
村の鎮守なり、惣持院持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鷲神社の由緒

鷲神社<浦和市南部領辻二九一四(南部領辻字西)>
当社は奥州街道(後の日光御成街道)の西、やや奥まった所に鎮座している。その社叢は市から「ふるさとの森」に指定されており、市民の憩いの場として親しまれている。
社伝によると、平安期、兄八幡太郎義家を援けんと、新羅三郎義光が奥州街道を下向する途次、当地において奇瑞を感じた。そこで神楽を奏上し、跡地に祠を建てて鷲明神を奉斎したという。
本殿には、翼を広げた鷲の背に立つ鷲大明神像と神鏡が安置されている。神像の底面には、「明和八辛卯歳(一七七一)霜月 □四郎 別当惣持院法印恵快代」と記され、また、神鏡の台座の底面部には「嘉永六丑年(一八五三)三月 別当阿日山惣持院十四世現住法印覚□謹誌」と記されており、江戸期、別当惣持院が当社の祭祀を司ってきた様子の一端を伝えている。ちなみに、当社の南方二〇〇メートルほどの所にある惣持院は真言宗の寺院で、寺伝では天正五年(一五七七)五月に開山良秀が入寂したとされる。
『風土記稿』は辻村の神社について「鷲大明神社 村の鎮守なり、惣持院持なり、稲荷社二字 雷電社 以上三社村民持」と載せる。
当社は、明治六年四月に村社となり、同四十一年十月に字西原の雷電社と字原山の稲荷社を合祀し、更に同年十一月には字辻の稲荷社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


鷲神社所蔵の文化財

  • 南部領辻の獅子舞獅子頭、衣裳及び道具類(さいたま市指定無形民俗文化財)
  • 南部領辻の獅子舞(さいたま市指定無形民俗文化財)

南部領辻の獅子舞獅子頭、衣裳及び道具類

天狗、弓持ち、お守り持ち、笛(二人)、簓(二人)、太夫、中獅子、女獅子の十人分の衣裳及び道具類からなります。笛方、簓方が被る花笠(オゼン)の一つには、明和五年(一七六八)に岩槻の林藤町で作ったことが墨書されています。獅子頭をはじめ弓や天狗面に至るまで、制作は優れており、激しい舞にもかかわらず、良好な保存状態を保っています。
なお、これらの衣裳及び道具類を納める長持及び長持覆い一式が付けたり指定となっています。(さいたま市教育委員会掲示より)

南部領辻の獅子舞

この獅子舞は、八幡太郎義家の弟新羅三郎義光が奥州へ兄を助けに向かう途中、兵士の士気を鼓舞するために舞ったものを、土地の人たちが習って伝えたものといわれます。
いわゆる「三頭一人立ち」の獅子舞で、毎年五月と十月に鷲神社に奉納されるほか、五月の奉納後には地域を回り、氏子の庭先でも舞われます。地域の「厄払い」のために舞われるという本来の姿をよく伝える獅子舞で、太夫(大獅子)を中心にした三頭の獅子が勇壮に舞います。(さいたま市教育委員会掲示より)

鷲神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)