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太田窪氷川神社。さいたま市南区太田窪の神社

太田窪氷川神社の概要

太田窪氷川神社は、さいたま市南区太田窪にある神社です。太田窪氷川神社の創建年代は不詳ながら、太田窪の地名が永禄2年(1559)の書に記載されていることから、当社もその頃には祀られてるのではないかといいます。江戸期には太田窪村・原山村・円正寺村の鎮守社だったといい、明治6年には村社に列格、明治40年・大正2年に太田窪・円正寺・原山新田(原山)に祀られていた無格社八社を合祀したといいます。

太田窪氷川神社
太田窪氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市南区太田窪2767
祭日 例大祭7月21日
備考 -



太田窪氷川神社の由緒

太田窪氷川神社の創建年代は不詳ながら、太田窪の地名が永禄2年(1559)の書に記載されていることから、当社もその頃には祀られてるのではないかといいます。江戸期には太田窪村・原山村・円正寺村の鎮守社だったといい、明治6年には村社に列格、明治40年・大正2年に太田窪・円正寺・原山新田(原山)に祀られていた無格社八社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による太田窪氷川神社の由緒

(大田窪村)氷川社
當村及び原山・圓正寺三村の鎮守なり、村内行圓寺の持。
熊野社
妙見社
稲荷社
以上三社村民の持
(原山村)
稲荷社
村民の持
(圓正寺村)
神明社
第六天社
稲荷社
以上三社村民の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による太田窪氷川神社の由緒

氷川神社<浦和市太田窪二七六七(太田窪字大嶋)>
太田窪の地名は、永禄二年(一五五九)の『小田原衆所領役帳』の江戸衆千葉殿領分に「一貫文 同(上足立)大多窪」とあるのが初見である。天正九年(一五八一)には北条氏政が千葉氏領の太田窪百姓中に対し、陣夫徴発の旧例と現況を報告するよう命じており、また同十五年(一五八七)には太田氏房が「たいたくほ千葉領百姓中」に岩付城の諸曲輪の堀の修復を命じている。当地の千葉家は天正年中(一五七三~九二)に木崎庄を領した千葉国胤の後裔と称し、太田窪の字堀の内に居住している。同家の伝えには鬼門に熊野菩薩、風紋には妙見尊を祀ったといい、今でも屋敷近くに熊野神社と千葉神社がある。
このような中で、太田窪の鎮守である当社も早い時期から祀られていたと考えられ、『風土記稿』大田窪村の項には「氷川社 当村及び原山・円正寺三村の鎮守なり、村内行円寺持」とある。別当の行円寺は中尾村吉祥院門徒の天台宗の寺院で、開山舜栄が寛保元年(一七四一)に寂した伝える。明治初年に廃寺になった模様で、その旧地は当社西方に隣接する。
『明細帳』によれば、明治六年に村社となり、同四十年及び大正二年に太田窪・円正寺・原山新田(原山)から無格社八社を合祀した。
本殿は正面に階段を設けない古い形である見世棚造りで、安土桃山期の建設様式の名残をとどめ貴重である。市の指定文化財である。(「埼玉の神社」より)


太田窪氷川神社所蔵の文化財

  • 太田窪氷川神社本殿一棟(市指定有形文化財)

太田窪氷川神社本殿一棟

覆屋内におさめられている小本殿で、形式は一間社流れ見世棚造りで、屋根は目板葺きとなっています。
大きさは母屋が間口一・五二メートル、奥行一・四〇メートルで、これに一・二四メートルの向拝がついています。
細い直線的な繋虹梁、面取りを施した向拝柱(角柱)、向拝柱上の斗栱の形状、丈が高く、反った棰など各所に特徴がみられ、桃山時代の建築様式をもっています。
改変を受けているところもありますが、全体的に建立当時の姿をよくとどめています。浦和市周辺に多く見られる見世棚造り本殿の一例としてきわめて保存価値の高い建造物です。(浦和市教育委員会掲示より)

太田窪氷川神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)