大谷場氷川神社。さいたま市南区南本町の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

大谷場氷川神社。さいたま市指定文化財の本殿

大谷場氷川神社の概要

大谷場氷川神社は、さいたま市南区南本町にある神社です。大谷場氷川神社の創建年代は不詳ですが、古くより大谷場村(南区大谷場・南浦和・南本町及び神明の一部)の鎮守として鎮座していたといい、明治6年には村社に列格、明治41年八幡社・市杵島社・天神社・白山神社・稲荷社(二社)・御嶽社の計七社の無格社を合祀しています。現在の本殿は寛文6年(1666)造立といい、さいたま市指定文化財となっています。

大谷場氷川神社
大谷場氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 誉田別命など七柱
境内社 神明社、薬師社、女体社
住所 さいたま市南区南本町1-9-1
祭日 例大祭7月11日
備考 旧村社



大谷場氷川神社の由緒

大谷場氷川神社の創建年代は不詳ですが、古くより大谷場村(南区大谷場・南浦和・南本町及び神明の一部)の鎮守として鎮座していたといい、明治6年には村社に列格、明治41年八幡社・市杵島社・天神社・白山神社・稲荷社(二社)・御嶽社の計七社の無格社を合祀しています。現在の本殿は寛文6年(1666)造立といい、さいたま市指定文化財となっています。(註:類似の伝えは大間木氷川神社にも有)

境内掲示による大谷場氷川神社の由緒

創立年代は不詳なるが、大谷場の鎮守の神として古くより崇敬の篤い社である。江戸初期社殿流失になったと伝えられる。現在の本殿は寛文六年の棟札あり、三間社流見世棚造り屋根は板葺である。
御神体は束幣立烏帽子、丈一尺二寸余、最古色を帯たり、箱に宝暦の年号がある。
天保元年の新編武蔵風土記に記載あり。
江戸時代別当寺は華徳院であった。明治元年神仏分離令により、廃仏毀釈により華徳院は廃寺された。太平洋戦争終結により、昭和廿一年国家神道から神社本庁所属の宗教法人神社となり、現在に及ぶ。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による大谷場氷川神社の由緒

(大谷場村)氷川社
村の鎮守とす、華徳院持
末社。牛頭天王社、住吉社、稲荷社、疱瘡神社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大谷場氷川神社の由緒

氷川神社(南本町)
大谷場は、かつては一面に畑地が広がっていた。そのころは、当社は椚林に包まれた閑静な社で、この杜には、古くから雉子が棲みついており、昭和二十年ごろまでは、ここに足を踏み入れると雉子がバタやハタと飛び出して来た。そのため氏子の間では「雉子は氷川様のお使い」といわれ、当社の通称も「雉子の氷川様」という。
当社は、大谷場の鎮守として祀られてきた神社で、『明細帳』に記された由緒には、かつては社記等もあったが江戸時代初期に火災で焼失してしまったことや、寛文六年(一六六六)の棟札があること、本殿の内陣には「宝暦」の年号の入った像高一尺二寸余りの束帯立烏帽子姿の白木の神像が納められていることなどが記されている。また、別当は東に約三百メートル離れた所にあった真言宗氷川山華徳院で、神仏分離を経て明治四年に廃寺となった。当社は、明治六年に村社となり、同四十一年に地内にあった八幡社・市杵島社・天神社・白山神社・稲荷社(二社)・御嶽社の計七社の無格社を合祀した。主祭神は素盞嗚命で、合祀神は誉田別等をはじめとする七柱である。
祀職は、大宮の官幣大社氷川神社大宮司を務めた後、神道大成教を創立した平山省斎の門下であった青田彦七郎が明治期に当社の社掌となって以後、大正十二年から吉田英一が継ぎ、昭和五十年からは吉田満子が奉仕し、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


大谷場氷川神社所蔵の文化財

  • 大谷場氷川神社本殿一棟(市指定有形文化財)
  • 境内ユリの木一株(市天然記念物)

大谷場氷川神社本殿一棟

現在の南区大谷場・南浦和・南本町及び神明(一部)は、かつて大谷場と称し、氷川神社はその鎮守でした。
「北足立郡神社明細帳」によると、寛文六年(一六六六)の棟札があると記載されています。建物の形式は「三間社流見世棚造」といい、覆屋の中に収められています。本殿の本体部分である身舎は、桁行二・八六九メートル、梁間一・二三五メートル、正面の柱と柱の空間が三つあるので「三間社」と表現します。屋根は切妻造の前方が長く延び、庇部分<向拝>を覆うなだらかな曲線を描く「流造」となっています。「見世棚造」とは、身舎と前方の柱<向拝柱>の間二棚のような床を張りーお店のように見えるー巨大な土台を井桁状に組む形式です。
さいたま市周辺は、江戸時代前期に見世棚造の本殿が非常に発達した地域で、向拝柱の前面に階段が付けられるという特徴があります。大谷場氷川神社本殿も、向拝正面の梁<水引虹梁>やそれに続く木鼻に彫られた文様の意匠や明細帳の記録から、この頃に建立されたと考えられています。また、水引虹梁上部の蟇股にある雄・雌・雛の雉の彫刻などの意匠も優れており、この地域の神社建築の発達を知るうえで、欠くことのできないものです。(さいたま市教育委員会掲示より)

大谷場氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)