子膾稲荷神社。自害したお寅の霊を祀る神社
子膾稲荷神社の概要
子膾稲荷神社は、さいたま市見沼区丸ヶ崎町にある神社です。子膾稲荷神社は、永仁年間(1293-99)辻谷の里に済んでいたお寅という娘を祀った神社だといいます。近郷近在にお寅を慕う者が多かった。その間に身を置いて苦しんだお寅は、ついに「自分を望んだ男たちに自分の体を料理して食べさせ、その希望を満たしてもらいたい」との遺言を残して自害した。お寅の両親は、娘の気持ちを哀れに思い、娘の遺言通りに男たちを招いて、お寅の腿の肉を膾にして食べさせた。その後、お寅の気持ちを知った男たちが、供養塔として建立したものが寅御石として知られる青石塔婆であり、お寅の霊を祀った社が、この子膾神社だといいます。明治41年丸ヶ崎氷川神社に合祀されたものの、現在も祀られています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市見沼区丸ヶ崎町 |
祭日 | - |
備考 | - |
子膾稲荷神社の由緒
子膾稲荷神社は、永仁年間(1293-99)辻谷の里に済んでいたお寅という娘を祀った神社だといいます。近郷近在にお寅を慕う者が多かった。その間に身を置いて苦しんだお寅は、ついに「自分を望んだ男たちに自分の体を料理して食べさせ、その希望を満たしてもらいたい」との遺言を残して自害した。お寅の両親は、娘の気持ちを哀れに思い、娘の遺言通りに男たちを招いて、お寅の腿の肉を膾にして食べさせた。その後、お寅の気持ちを知った男たちが、供養塔として建立したものが寅御石として知られる青石塔婆であり、お寅の霊を祀った社が、この子膾神社だといいます。明治41年丸ヶ崎氷川神社に合祀されたものの、現在も祀られています。
新編武蔵風土記稿による子膾稲荷神社の由緒
(丸ヶ崎村)
寶泉寺
同宗、多聞院の門徒、施無畏山東光院と號す、本尊は彌陀を安せり。
〇子膾明神社。
〇薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」丸ヶ崎氷川神社項による子膾稲荷神社の由緒
永仁年間(1293-99)、辻谷の里にお寅という美しい娘がおり、近郷近在にお寅を慕う者が多かった。その間に身を置いて苦しんだお寅は、ついに「自分を望んだ男たちに自分の体を料理して食べさせ、その希望を満たしてもらいたい」との遺言を残して自害した。お寅の両親は、娘の気持ちを哀れに思い、娘の遺言通りに男たちを招いて、お寅の腿の肉を膾にして食べさせた。その後、お寅の気持ちを知った男たちが、供養塔として建立したものが寅御石として知られる青石塔婆であり、お寅の霊を祀った社が、この子膾神社であるという。(「埼玉の神社」丸ヶ崎氷川神社項より)
子膾稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)