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東宮下八幡神社。さいたま市見沼区東宮下の神社

東宮下八幡神社の概要

東宮下八幡神社は、さいたま市見沼区東宮下にある神社です。東宮下八幡神社は、神祇管領卜部へ宛てた宗源神宣より、宝暦7年(1757)頃の創建だといい、宮下村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格したといいます。

東宮下八幡神社
東宮下八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 日枝稲荷疱瘡合社
住所 さいたま市見沼区東宮下1-79
祭日 -
備考 -



東宮下八幡神社の由緒

東宮下八幡神社は、神祇管領卜部へ宛てた宗源神宣より、宝暦7年(1757)頃の創建だといい、宮下村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による東宮下八幡神社の由緒

(宮下村)八幡社
村の鎮守なり。
末社。二十三夜社、稲荷社。
別當興生寺
新義真言宗、村内寶光院末、八幡山と號す、本尊不動を安ず。
第六天社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東宮下八幡神社の由緒

記載なし。(「埼玉の神社」より)

「さいたま市史料叢書」による東宮下八幡神社の由緒

村社八幡社(東宮下)
埼玉県北足立郡七里村大字東宮下字中里
村社八幡社
一祭神 誉田別尊
一由緒 明治六年四月村社ニ列セラル、其他不詳。同三十六年六月十九日上地林六畝五歩ヲ境内ニ編入セラル、昭和三年四月二十七日本殿改築許可、昭和五年五月十日竣工。
一社殿 本殿、拝殿
一境内 五百七十八坪
一氏子 「二十一戸」
一境内神社
日枝稲荷疱瘡合社。祭神大山昨命、倉稲魂命、稲脊脛彦命。由緒不詳。社殿本殿。(「さいたま市史料叢書」より)

境内掲示による東宮下八幡神社の由緒

東宮下八幡神社御由緒
御祭神 誉田別尊(応仁天皇)
当八幡神社の創建は詳らかでないが、宝暦七年(西暦一七五七年)六月十日神祇管領卜部兼雄に、北足立郡南部領宮下村村民が懇願し八幡宮を勧請した勧請文(宗源神宣)が当社に伝えられているんで、正式の創建はこの時かと思われる。新編武蔵風土記稿によると「八幡社は村の鎮守なり、末社は二十三社、稲荷社、別当は興生寺である」と記されている。明治六年に村社に列せられる。宗源神宣とは、室町時代以降江戸時代を通じ、神祇官の管領として諸国神社の多くを支配してきた京都の吉田家において、神社または神道のことに関した発した文書でその文書は、次の通りである。
維寶暦七歳次丁丑六月十日庚午吉日良辰乎擇定弖武蔵国足立郡南部領宮下村仁鎮座須掛毛畏畿宮下八幡宮末社諸神乃廣前仁恐美恐美毛申佐久抑當社乃祇官産子等戮力一審志弖神祇管領卜部兼雄仁告弖勧請乎乞故願乃随仁宗源乃神宣乎申行比宇津乃幣帛乎調弖遷之鎮おんな廣厚久称辭竟奉留此状乎平介久安介久所聞食弖弥一天太平社頭康榮神道興隆祠官産子等平安乎始弖五穀能成万民豊楽仁夜乃守日乃守仁守護幸賜倍止恐美恐美毛申壽
[釈文]
宝暦七年丁丑六月十日の良き日を選び定めまして、武蔵の国足立郡南部領宮下村に鎮座されております八幡宮や末社諸神の神様の御前に謹んで申し上げます。
当社の神官や村民たちが心を合わせて神祇管領である卜部兼雄に八幡宮を当村に勧請して戴きたく乞うてきたので、願いの通り宗源の神宣を申し行ない、尊い立派な幣帛を整えて遷し鎮め奉り広く厚くおまつりする状を平らけく安らけくお聞き戴きまして世の中が平穏で神社が栄え神道がますます興隆し、村民達の平安を始め五穀がよく実り、すべての人が豊で楽しい生活ができますように夜も昼もお守り戴き幸いを賜り謹んで申し上げます。(境内掲示より)


東宮下八幡神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)