笹丸荒神社。お竈様とも呼称
笹丸荒神社の概要
笹丸荒神社は、さいたま市見沼区笹丸にある神社です。笹丸荒神社は、笹丸村が成立した江戸時代初中期(1644-1704)に鎮守として祀られたといい、お竈様と呼称とも呼称、明治6年には村社に列格したといいます。
社号 | 荒神社 |
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祭神 | 火産霊命・澳津彦命・澳津姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市見沼区笹丸234 |
祭日 | - |
備考 | - |
笹丸荒神社の由緒
笹丸荒神社は、笹丸村が成立した江戸時代初中期(1644-1704)に鎮守として祀られたといい、お竈様と呼称とも呼称、明治6年には村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による笹丸荒神社の由緒
(笹丸村)荒神社
村の鎮守なり、村民持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による笹丸荒神社の由緒
荒神社<大宮市笹丸二三四(笹丸字荒神)>
笹丸村は正保から元禄のころ(一六四四-一七〇四)分村によって成立した村で、地内の旧家は一五代ほど続いているところが多く、古い墓石には元禄元年(一六八八)のものが見える。当社は、この笹丸村の鎮守として祀られてきた神社であり、したがって、創建の時期も村が出来て間もなくのことと思われる。
現在の境内は、集落の北端にあるが、かつてはそこからやや北東の荒神山と呼ばれている所に鎮座していた。荒神山の「元荒神」と呼ばれている辺りが、その旧地であるが、いつごろ荒神山から現在地に移ったのかは定かではない。しかし、山林に囲まれ、神さびた現在の境内の様子から推察するなら、荒神山からの遷座は、少なくとも明治以前のことであろう。
また『風土記稿』笹丸村の項に、当社は「荒神社 村の鎮守なり、村民持」とあるが、『郡村誌』では「竈社 村社(中略)村の北方にあり興津彦命を祀る祭日九月三十日」となっている。ここに見られる社名の違いは、『郡村誌』が編纂された明治の初期には、当社が一般的には「竈社」ないしは「お竈様」といった名称で呼ばれていたことを表すものであろう。ちなみに『明細帳』によれば、祭神は火産霊命・澳津彦命・澳津姫命の三柱で、村社への列格は明治六年、本殿及び拝殿の改築は大正十三年のこととなっている。(「埼玉の神社」より)
笹丸荒神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)