砂氷川社。さいたま市見沼区東大宮の神社

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砂氷川社。七か村が合併した大砂土の惣鎮守

砂氷川社の概要

砂氷川社は、さいたま市見沼区東大宮にある神社です。砂氷川社の創建年代等は不詳ながら、当地は寿永元年(1182)に上野国山田郡の山田七郎成実が開拓した地だといい、江戸期には、堀崎村・砂村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治22年に今羽村・西本郷村・土呂村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七か村が合併して大砂土村が成立した際にはその総鎮守として祀られ、明治40年には旧砂村の無格社稲荷社(三社)・同八雲社、旧島村の村社熊野社、無格社第六天社、旧堀崎村の無格社稲荷社(二社)・同熊野社などを合祀しています。

砂氷川社
砂氷川社の概要
社号 氷川社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 大六天
住所 さいたま市見沼区東大宮7-36-11
祭日 -
備考 -



砂氷川社の由緒

砂氷川社の創建年代等は不詳ながら、当地は寿永元年(1182)に上野国山田郡の山田七郎成実が開拓した地だといい、江戸期には、堀崎村・砂村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治22年に今羽村・西本郷村・土呂村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七か村が合併して大砂土村が成立した際にはその総鎮守として祀られ、明治40年には旧砂村の無格社稲荷社(三社)・同八雲社、旧島村の村社熊野社、無格社第六天社、旧堀崎村の無格社稲荷社(二社)・同熊野社などを合祀しています。

新編武蔵風土記稿による砂氷川社の由緒

(砂村)
神明社
第六天社
牛頭天王社
大日権現社
稲荷社四宇
以上八社、正雲寺持。
稲荷社
築地稲荷と號す、村民持。
三社宮
東照宮を祭り奉り、多田満仲、八幡太郎を合祀せりと云。
天神社
(堀崎村)
氷川社
當村及び砂村の鎮守なり、大聖寺持。
疱瘡神社
稲荷社二宇
村持。
(島村)
熊野社
村の鎮守なり
天神社
二社ともに村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による砂氷川社の由緒

氷川社<大宮市砂一八二〇(砂字登戸耕地)>
『埼玉県地名誌』によると、鎮座地の砂村は、芝川沿岸の砂地であることから称されたものであるという。また『郡村誌』によれば、当地は寿永元年(一一八二)に上野国山田郡の山田七郎成実によって開拓が行われたため、往古は山田村と称していたという。
当社の創建は明らかではない。『風土記稿』には砂村の隣村堀崎村の項に「氷川社 当村及び砂村の鎮守なり、大聖寺の持」と当社についての記載が見える。しかし、氏子は「氷川社は古くから砂村の現在地に鎮まっている」と伝えていることから、往時は堀崎村の飛地となっていたことが考えられる。あるいは別当の大聖寺が堀崎村にあったことが一因したものであろうか。大聖寺は艮障山寿命院と号する天台宗の寺院であった。その開山は明らかではないが、慶長十七年(一六一二)八月の「堀崎村御検地水帳」にある大正寺は同寺のことと思われる。同寺は神仏分離を経た明治五年に廃寺となった。
当社は明治六年四月に村社に列し、同九年に本殿を改築した。明治二十二年に今羽村・西本郷村・土呂村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七か村が合併し、新たに大砂土村が設置されるとこの村の惣鎮守となった。明治四十年二月に拝殿を建立し、同年九月には、旧砂村の無格社稲荷社(三社)・同八雲社、旧島村の村社熊野社、無格社第六天社、旧堀崎村の無格社稲荷社(二社)・同熊野社などを合祀した。(「埼玉の神社」より)


砂氷川社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)