原稲荷神社。原稲荷古墳の上に鎮座
原稲荷神社の概要
原稲荷神社は、さいたま市西区佐知川にある神社です。原稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、亀山天皇嘉元3年(1305)の建立とも伝えられ、京都の歌人が当地で亡くなりその亡がらを崇めて祀ったと語り継がれていたともいい、明治維新後は村社に列格しなかったものの、原稲荷と呼ばれ信仰を集め続けてきたといいます。当社の鎮座地は、6世紀半ばに築造された原稲荷古墳の上だといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲・神明・琴平・戸隠・厳島・御嶽・天満社 |
住所 | さいたま市西区佐知川276 |
祭日 | - |
備考 | - |
原稲荷神社の由緒
原稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、亀山天皇嘉元3年(1305)の建立とも伝えられ、京都の歌人が当地で亡くなりその亡がらを崇めて祀ったと語り継がれていたともいい、明治維新後は村社に列格しなかったものの、原稲荷と呼ばれ信仰を集め続けてきたといいます。当社の鎮座地は、6世紀半ばに築造された原稲荷古墳の上だといいます。
新編武蔵風土記稿による原稲荷神社の由緒
(佐知川村)稲荷社
植木稲荷と呼ぶ、相傳ふ古へ京都の人歌もとめんとて諸國を遊歴せし者、當國に下向し爰にて行をはりになりしかば、其なきがらを崇め祀りし社なりと高位のものなりとのみ語り傳へ、其姓名を知らず、植木はもし彼人の氏ならんか、村民の持なり、下二社もおなじ。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による原稲荷神社の由緒
稲荷神社<大宮市佐知川二七六(佐知川字原)>
当社は「原稲荷」と呼ばれているが、この通称は、一帯が明治の初めころまで木立も人家もなく、文字通りの「はら」であったことによるという。この地域は水判土から続く植水古墳群の中にあり、当社の社殿は、六世紀中ごろ以後に築造されたとされる原稲荷古墳(高さ三・五メートル、直径四〇メートルの円墳)の上にある。昭和五十八年に実施されたと発掘により、当社の南三〇メートルの植水一号古墳からは、勾玉・漆玉・翡翠・管玉・鉄器などが出土しており、当社の鎮座する原稲荷古墳は、当古墳群の中でも最大の規模を有することから、支配的立場にあった者の古墳と考えられ、あるいは古墳に葬られた祖霊と稲荷の穀霊信仰とが結び付いて、当社が古墳上に奉斎されたものであろうか。創建伝承として『明細帳』に「不詳ナレ共、当社ノ略史ニ依レバ人皇九十一代亀山天皇ノ嘉元三年(一三〇五)ノ建立ナリト云フ」と記されている。
『風土記稿』佐知川村の項には「稲荷社 覚音院持」と載せられている。これに見える覚音院は、天台宗の寺院であったが、神仏分離によって明治六年に廃寺となった。明治初年の社格制定に当たっては、金山神社が村社となり、当社は無格社となった。しかし、社格にこだわることなく信仰を集めてきたことは、境内の石灯籠・手水鉢・石垣などの奉納物の多さが示している通りである。(「埼玉の神社」より)
原稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)