土屋稲荷神社。さいたま市西区土屋の神社
土屋稲荷神社の概要
土屋稲荷神社は、さいたま市西区土屋にある神社です。土屋稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、土屋村中組の人々に祀られてきたといい、明治維新後には無格社に列したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
---|---|
祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市西区土屋354 |
祭日 | - |
備考 | - |
土屋稲荷神社の由緒
土屋稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、土屋村中組の人々に祀られてきたといい、明治維新後には無格社に列したといいます。
新編武蔵風土記稿による土屋稲荷神社の由緒
(土屋村)
稲荷社二宇
一は村民の持、一は薬王寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による土屋稲荷神社の由緒
稲荷神社<大宮市土屋三五四(土屋字上谷)>
当地は荒川と入間川の合流地点から東に約二キロメートル離れた自然堤防上に位置する。慶長年間(一五九六-一六一五)関東郡代伊奈備前守忠次は荒川の改修工事を行うに当たり当地に陣屋を築いた。その後、忠次の次男忠治が家督を継ぎ、郡中赤山(現川口市赤山)に所領を得て移住した折、陣屋は家臣である永田庄左衛門可忠に与えられた。伊那家改易の後、永田家は江戸期を通じて代々名主を務めた。
土屋の地は北から上・中・下に分かれ、このうち中組の人々によって祀られてきたのが当社である。鎮座地は現在、住宅に囲まれているが、往時は村の東部に広がる水田地帯を一望できる集落の外れに位置していた。古くから当地は干ばつの地で、農耕は困難を極めたといわれ、『郡村誌』にも「水利不便時々水旱に苦しむ」とある。このような地であったことから、村人は五穀を司る稲荷神を今の地に祀り、五穀豊穣を祈念したものであろう。『風土記稿』に「稲荷社二宇、一は村民の持、一は薬王寺の持」と二社の稲荷社が見え、このうち薬王寺持ちの社が当社と考えられる。神仏分離後、薬王寺は廃寺となり、当社は無格社とされた。往時の薬王寺の位置は不詳である。
現在の社殿は、旧社殿の老朽化により、昭和五十四年に境内地の木々を伐採し、それを材料として建設された。(「埼玉の神社」より)
土屋稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)