埼玉県護国神社。さいたま市大宮区高鼻町の神社

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埼玉県護国神社。さいたま市大宮区高鼻町の神社

埼玉県護国神社の概要

埼玉県護国神社は、さいたま市大宮区高鼻町にある神社です。埼玉県護国神社は、明治維新後に戦没した英霊を祀るために昭和9年埼玉県招魂社として創建、昭和14年埼玉県護国神社と改称したといいます。敗戦後に埼霊神社と改めたものの、昭和26年社号を埼玉県護国神社と復したといいます。

埼玉県護国神社
埼玉県護国神社の概要
社号 埼玉県護国神社
祭神 戦没者五万一千百八十柱
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市大宮区高鼻町3-149
祭日 -
備考 -



埼玉県護国神社の由緒

埼玉県護国神社は、明治維新後に戦没した英霊を祀るために昭和9年埼玉県招魂社として創建、昭和14年埼玉県護国神社と改称したといいます。敗戦後に埼霊神社と改めたものの、昭和26年社号を埼玉県護国神社と復したといいます。

新編武蔵風土記稿による埼玉県護国神社の由緒

該当なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による埼玉県護国神社の由緒

埼玉県護国神社<大宮市高鼻町三-一五四>
埼玉県における英霊祭祀は、まず明治十年二月に起こった「西南の役」に際し、本県出身者七十余名の慰霊祭が同年十一月四日に斎行されたことに始まる。これは県庁所在地である浦和の調神社境内で、官幣大社氷川神社宮司平山省斎が祭主として奉仕し、同十三年五月には県令白根多助の撰文で「埼玉県人殉難之碑」が建設された。なお、この西南の役では、旧川越藩士が特別の志願で出征していた。
その後、明治二十七、八年の日清戦役、同三十七、八年の日露戦役において、本県出身者は多数の戦没者を出したことから、町や村では一斉に「戦役」「忠霊」「忠魂」等の英霊碑を建設した。殊に、これらの碑には戦没者の氏名を刻み、その前で深い感謝と哀悼の意を表す慰霊祭を斎行した。
大正三年に第一次世界大戦が勃発、同七年にシベリア出兵があったことから、同八年には本県出身戦没者は一五七名に達した。これにより、同九年十二月二十二日、埼玉県知事堀内秀太郎を会長とする尚武会は盛大な慰霊祭を主催した。祭場は、氷川神社北側の大宮公園内で、祭主は氷川神社宮司が奉仕した。参列は、三百余名の遺族と、第十四師団・第二十八旅団・第六十六連隊の各長であった。
次いで昭和六年には満州事変が、同七年には上海事変が起こった。このころになると、全国の戦没者は一万七千名を超え、日清・日露の両戦役以来の数となり、本県における戦没者数も増加の一途をたどった。このため、埼玉県を挙げて、英霊祭祀を斎行するための招魂社建設の機運が高まり、ついに昭和八年、西南の役以来の国事殉難者並びに戦没者を祀る「埼玉県招魂社」造営の議が起こった。また、英霊祭祀を行うにふさわしい鎮座地は、桜の花の美しい氷川神社の北側の大宮公園内と定められた。
造営の件は、早速同年九月二日に内務大臣へ出願し、十月十一日に地鎮祭、翌九年一月十七日に上棟祭が行われた。この造営は、建築技師二本松孝蔵の設計に基づいて進められた。本殿・拝殿は神明造り、屋根は銅板葺き、境内には鳥居・手水舎・灯籠を備えた。竣工は、四月八日、次いで翌九日には氷川神社宮司が祭主となり、広瀬久忠県知事主催のもと、「尽忠報国」の英霊を祀る鎮座招魂祭が斎行された。また、この日は、近衛師団長朝香宮鳩彦殿下をはじめ、陸海軍各大臣・横須賀鎮守府司令官・在郷軍人・青年訓練生・学校生徒など一万数千名の参拝があった。この鎮座招魂祭以後、当社の例大祭は、毎年四月九日と定められた。
また、昭和十四年三月十五日、内務省令第十二号により、四月一日付にて県社相当格の「埼玉県護国神社」となり、例大祭には、埼玉県知事が幣帛料供進使として参向することが例になった。
昭和二十年八月十五日、大東亜戦争は終戦となり、同年十二月十五日には神社神道を弱体化すべく発令されたGHQ(連合国軍総司令部)の神道指令により、当社は、やむなく「埼霊神社」と社名変更を余儀なくされた。しかし、昭和二十六年九月、サンフランシスコ講和条約締結を機に、再び「埼玉県護国神社」の社名に復することとなった。
戦後、特に昭和天皇におかれては、格別の思召により昭和三十五年の「合祀概了奉告臨時大祭」、同四十年の「終戦二十周年記念臨時大祭」、同四十二年の「御参拝」、同五十年の「終戦三十周年記念臨時大祭」 同六十年の「終戦四十周年記念大祭」に際し、幣帛料を御奉納された。
更に、天皇皇后両陸下には、平成五年五月十四日、御即位後、全国で初めて御参拝になられた。この両陸下の英霊に対する御丁重なる御拝礼を目の当たりにした遺族をはじめとする一千名の奉迎者からは、その御姿に感極まり、力強い聖寿の万歳が幾度となく湧き上がった。まさに最上の英霊祭祀が行われた。
平成十年四月現在、奉祀されている英霊は五万一千百八十柱である。
年間の祭祀は、歳旦祭(一月一日)・成人祭(一月十五日)・紀元祭(二月十一日)・祈年祭(二月十七日)・春分祭(三月春分)・例大祭(四月九日)・祝子祭(五月五日)みたま祭(八月十五日)・秋分祭(九月秋分)・明治祭(十一月三日)・新嘗祭(十一月二十三日)・天長祭(十二月二十三日)・除夜祭(十二月三十一日)がある。
中でも当社の創建日に当たる例大祭では、昭和天皇の御製「天地の神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を」の大御心を体し、英霊に対して奉慰・顕彰の心を尽くした祭祀が行われている。(「埼玉の神社」より)


埼玉県護国神社の周辺図


参考資料

  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)