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多子稲荷神社。さいたま市大宮区土手町の神社

多子稲荷神社の概要

多子稲荷神社は、さいたま市大宮区土手町にある神社です。多子稲荷神社の創建年代は不詳ですが、土手宿村の鎮守として祀られてきた社で、明治4年村社に列格、明治27年鉄道敷設に伴い字下西耕地から字下東耕地に移転したといいます。

多子稲荷神社
多子稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 稲荷神
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市大宮区土手町2-97
祭日 -
備考 -



多子稲荷神社の由緒

多子稲荷神社の創建年代は不詳ですが、土手宿村の鎮守として祀られてきた社で、明治4年村社に列格、明治27年鉄道敷設に伴い字下西耕地から字下東耕地に移転したといいます。

「埼玉の神社」による多子稲荷神社の由緒

稲荷神社(大宮市土手町2-97土手宿下東耕地)
当社は、一般に「多子稲荷神社」として知られており、旧土手宿村の鎮守として祀られてきた社である。勧請の時期は定かではないが、京都の伏見稲荷大社の分霊を祀ったものと伝えられ、現在の本殿は天保四年(一八三三)の建立であることが現存する棟札からわかる。また、この棟札には「奉正遷宮正一位多子稲荷大明神」とあるところから、当時既に正一位の神階を受けていたことがうかがえる。
明治四年に村社となり、同二十七年に村の南方に当たる字下西耕地から字下東耕地に移転した。これが現在の社地であり、移転当時は社殿は西向きで、参道は荷車が通れるほどの幅で中山道に抜けていた。ちなみに、この移転は、鉄道の敷設に際し、旧社地がその用地にかかり、社殿に蒸気機関車の出す煤煙や火の粉が降り注ぐようになったため、やむなく行われたものである。その後、昭和二十八年に至って社殿を南向きに改め、当社は今日見られるような姿になった。
『風土記稿』では、当社は「村民の持」とされており、祀職に関する記載はないが、棟札等の記録によれば武蔵一宮氷川神社社家の西角井家が少なくとも天保年間(一八三〇-四四)以来五代にわたって祭祀を行ってきたことがわかる。更に、昭和四十六年に西角井正慶が没してからは、武蔵一宮氷川神社の藤川甲子郎が宮司を務め、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による多子稲荷神社の由緒

(土手宿村)稲荷社
多子稲荷と號すれど、その来由はつたへず。村民の持。(新編武蔵風土記稿より)


多子稲荷神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)