東神社。さいたま市桜区栄和の神社

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東神社。「栄和の東耕地」より生まれた社号

東神社の概要

東神社は、さいたま市桜区栄和にある神社です。東神社は、栄和・道場・山久保・中島の鎮守として、各地に鎮座していた社を合祀のうえ、明治40年東神社として創建、社号は、当地「栄和の東耕地」から付けられたそうです。

東神社
東神社の概要
社号 東神社
祭神 多紀理比賣命、狭依比賣命(市杵島姫命)、多岐都比賣命
相殿 -
境内社 八重垣神社、古峰神社、稲荷神社
住所 さいたま市桜区栄和2-24-3
祭日 -
備考 -



東神社の由緒

東神社は、栄和・道場・山久保・中島の鎮守として、各地に鎮座していた社を合祀のうえ、明治40年東神社として創建、社号は、当地「栄和の東耕地」から付けられたそうです。

新編武蔵風土記稿による東神社の由緒

(山久保村)
稲荷社
村の鎮守なり、村持
(中島村)
荒神社
村の鎮守なり
末社。稲荷社、天王社。二十三夜堂。
別當萬行寺。新義眞言宗、與野町圓乗院末、三神山と號す、不動を本尊とす。
(千駄村)<栄和>
神明社二宇
一は重圓寺持、村の鎮守なり、一は村民の持なり。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東神社の由緒

当社は政府の合祀政策に従い、明治四十年に栄和・道場・山久保・中島の鎮守として、新たに創建された神社である。その社名は、栄和と中島の境にあり、四大字のほぼ中心に当たることから境内地として選ばれた栄和の東耕地の地名を採ったものである。当時は境内の周辺は一面の畑であったが、今では住宅が建て込む市街地へと変貌しており、当社はその中の貴重な憩いの場として住民から親しまれている。
『明細帳』は、当社の由緒について「当所に新境内を設け、明治四十年十一月十二日に土合村大字栄和字西村社稲荷社、同大字字八石村社神明神社、大字道場字前村社天神社、大字山久保字大道無格社稲荷社、大字中島字後村社荒神社の五社を移転合祀し、社号を東神社と改称」と記している。この記述によって、合祀された諸社について知ることができるが、道場の天神社や中島の荒神社のように実際は書類上の合祀にとどまったり、合祀後元の境内に再建され、旧氏子地区の人々から祀られている社もある。
一方、境内の合祀記念碑(大正二年建立)を見ると、「東神社は明治四十一年九月一日御創立」とあり、近年まで九月一日を創立記念日として祭典を行ってきた。したがって、『明細帳』に記された日付は書類上合祀が許可された日で、実際に境内が整えられ、遷宮祭が行われたのが翌年の九月一日であったと思われる。(「埼玉の神社」より)


東神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)