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月讀社。さいたま市桜区神田の神社

月讀社の概要

月讀社は、さいたま市桜区神田にある神社です。月讀社は、第六代天皇孝安天皇二十年の創建と伝えられます。当地はかつて伊勢神宮領だったことから収穫された初穂を調神社に納入して伊勢神宮に奉納していたといいます。戦国時代までは、(さいたま市)八王子に鎮座していたといいますが、天正年間(一五七三~九二)に月讀社が当地に遷座、その際に、当社が一宮氷川神社と同体(祭神が同一の意か)であったために俗に氷川神社と称したといいます。江戸時代には神田村の鎮守社だったといい、明治時代には村社に列格、明治23年に月讀社と改称したといいます。

月讀社
月讀社の概要
社号 月讀社
祭神 月読命
相殿 -
境内社 稲荷社
住所 さいたま市桜区神田799
祭日 -
備考 -



月讀社の由緒

月讀社は、第六代天皇孝安天皇二十年の創建と伝えられます。当地はかつて伊勢神宮領だったことから収穫された初穂を調神社に納入して伊勢神宮に奉納していたといいます。戦国時代までは、(さいたま市)八王子に鎮座していたといいますが、天正年間(一五七三~九二)に月讀社が当地に遷座、その際に、当社が一宮氷川神社と同体(祭神が同一の意か)であったために俗に氷川神社と称したといいます。江戸時代には神田村の鎮守社だったといい、明治時代には村社に列格、明治23年に月讀社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による月讀社の由緒

(神田村)氷川社
村の鎮守なり、永福寺の持
末社、稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による月讀社の由緒

当社は、第六代天皇孝安天皇二十年の創建と伝えられる。この辺りは、当時(伊勢)神宮の神領であった。その農耕の守護神として祀られた。
その神領の中に一反五畝四歩の伊勢田と言われる神田が在った。
その神田に因み村号を神田(じんでん)と名付けられた。
その神田で収穫された初穂米は、調神社へ一旦納めて、他の貢物と一緒に伊勢の神宮に納められたと伝えられる。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による月讀社の由緒

当地は鴨川左岸の自然堤防上に位置しかつては水田地帯であった。神田の地名は、古来伊勢神宮の神領であったことに由来するという。
旧神職家の神山正男家所蔵の嘉永四年(一八五一)「神田月讀宮之由緒」によれば、当社は人皇六代孝安天皇二十年の創建とされる。当時神田地内に伊勢田と称す一反五畝四歩の除地があり、ここで収穫された初穂を浦和駅(現浦和市)の調神社に納入して伊勢神宮に奉納していた。往時は一丁余り離れた八王子村(現与野市)字首塚に鎮座していたが、夫役も負担となる小村であったため、天正年間(一五七三~九二)に当村から五町歩余を八王子村に譲り、代わりに月讀社を当地に引き移した。この時、当社が一宮氷川神社と同体(祭神が同一の意か)であったために、俗に氷川神社と称したという。
中世以来、月待信仰と調神社が発音上一体化され、調神社は月讀社とも称されたことから、当地と関係の深い調神社(月讀社)を勧請して、農耕神として祀ったのであろう。
『風土記稿』神田村の項に「氷川社 村の鎮守なり、永福寺の持、末社 稲荷社」と載るのが当社である。
明治に入り、氷川社として神田村の村社に列した当社は、旧来に復したいという村民の希望により、明治二十三年に社名を月讀社と改称し、祭神も須佐之男等を改めて月讀命とした。(「埼玉の神社」より)


月讀社の周辺図


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参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)