塚本神明神社。修験者榎本賢聚が創建
塚本神明神社の概要
塚本神明神社は、さいたま市桜区塚本にある神社です。塚本神明神社は、修験者榎本賢聚(明応元年1492年寂)が当社及び別当寺だった神明寺を創建したと伝えられ、江戸期には塚本村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格したといいます。明治維新に際して廃寺となった神明寺は、武州足立百不動尊霊場57番でした。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照大御神、素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市桜区塚本35 |
祭日 | - |
備考 | - |
塚本神明神社の由緒
塚本神明神社は、修験者榎本賢聚(明応元年1492年寂)が当社及び別当寺だった神明寺を創建したと伝えられ、江戸期には塚本村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による塚本神明神社の由緒
(塚本村)神明神社
村の鎮守なり、神明寺の持。
末社。天神社、天王社、三峰社、水神社。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による塚本神明神社の由緒
神明神社<浦和市塚本三五(大字塚本字内東耕地)>
当地は荒川左岸の自然堤防上に立地し、地内を鎌倉街道が通る。また、古来、伊勢神宮の神領であったと伝わる神田の南西に位置する。
社伝によれば、鎌倉幕府に仕えた榎本森次の後裔賢聚が京都聖護院配下本山派修験者となり、塚本の地に移り住んで神明社を勧請して、その別当として神明寺を創建したという。神田の地名伝承に基づいて、天照大御神を奉斎して神明社を創建したことが推測される。
神明寺は当社の北方約三〇〇メートルの位置にあり、同寺の末裔に当たる榎本良夫家の墓碑銘によれば、開山の賢聚は明応元年(一四九二)に没し、以後代々修験を務めている。同家所蔵の多数の文書の中で最古のものは、貞享二年(一六八五)の「授与常火免許事」で、当時の羽黒修験との関係もうかがえる。享保十一年(一七二六)の「桃地結袈裟御免之事」では中尾村玉林院の配下であったことが見え、これ以降「大先達玉林院」の名が度々登場することとなる。当社は、『風土記稿』塚本村の項に「神明社 村の鎮守なり、神明寺の持」と載る。
維新政府の神仏分離政策により、賢聚から数えて一五代目に当たる長祐は、慶応四年(一八六八)に復飾して名を榎本伊勢義明と改め、神職として奉仕することとなった。これにより神明寺は廃寺となり、当社は明治六年に村社に列した。昭和二年には本殿・拝殿が焼失の憂き目に遭ったが、氏子一同の尽力により翌三年に再建が果たされた。(「埼玉の神社」より)
塚本神明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)