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岸町第六天神社。さいたま市浦和区岸町の神社

岸町第六天神社の概要

岸町第六天神社は、さいたま市浦和区岸町にある神社です。岸町第六天神社の創建年代等は不詳ながら、元禄元年(1688)の「調神社朱印地調」にも記載されており、別当寺であった月山寺により調神社の鬼門除けの社として祀られたのではないかといいます。

岸町第六天神社
岸町第六天神社の概要
社号 第六天神社
祭神 面足命、惶根尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市浦和区岸町4-18-6
祭日 例祭日7月20日
備考 -



岸町第六天神社の由緒

岸町第六天神社の創建年代等は不詳ながら、元禄元年(1688)の「調神社朱印地調」にも記載されており、別当寺であった月山寺により調神社の鬼門除けの社として祀られたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による岸町第六天神社の由緒

(岸村)調神社末社
第六天社。別當月山寺。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による岸町第六天神社の由緒

岸町第六天神社<浦和市岸町四-一八-六(岸町三丁目)>
当社は、旧中山道沿いに鎮座する調神社の境内から北東五〇メートルの地に祀られており、祭神は面足命・惶根命の二柱である。
創建については不明であるが、元禄元年(一六八八)の「調神社朱印地調」に、既に当社名を見ることができる。また、『風土記稿』岸村の項には、当社を調神社の末社として載せており、その調神社については、真言宗月山寺が別当として社務に当たっていた。月山寺は、初め浦和宿福寿寺の庵であったものを後に一寺としたものである。元来当社名の「第六天」とは、仏教で説く欲界にある第六の天界に住む他化自在天のことであり、主に修験者により仏法守護の神として信仰されていた。したがって、当社も、別当月山寺が当山派修験の醍醐三宝院に属した浦和宿玉蔵院の末寺であったことから、恐らくは月山寺により調神社の鬼門除けの社として祀られたものではなかろうか。ちなみに、月山寺は、明治四年に廃寺となり、現在では跡形もない。
当社はかつては「清岡」と呼ばれる小高い丘の頂上にあった。しかし、昭和期に入ると急速に周囲の開発が進み、三方を住宅に囲まれてその景観を一変させてしまった。社殿は、長く本殿の祠のみであったが、氏子有志の発意から調宮自治協力会(自治会)の会員の多くが協力して奉賛会が組織され、昭和四十七年十月神明造りの覆屋が建設された。更に、同四十九年十一月には石鳥居を建立した。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による岸町第六天神社の由緒

調町内鎮座岸町第六天神社縁起
旧岸村の清岡。この地に鎮座ましまして、調神社とともに七社明神の一に数えられ、近郷近在の人々に尊崇されてきた岸町第六天神社はわがふるさとの奉斎するいわれある土地の守護神であります。
御祭神は高天原第三神朝の第六代天津日嗣と称えられる
面足命(別名穂千田比古命)
吾屋惶根尊(皇后)
をお祀りしているところから、第六天社、または一等六天社とも申し上げ、その御子の倉平顔比古命や金子甘美金希代命とともに、穀物貯蔵法や刀剣、鉾や農機具等の製法発明等、農産業発展に尽くされた神様で、面足命とおくり名のあるとおり、福よかな良美顔で高天原でまつりごとをされたので、他の神々にも敬慕され、縁結び、商売繁昌、子育神、火難災厄除神・・・等民福安栄の象徴として、後世までお祀りされ信仰されてきた、縁起のよい神様であります。
その歴史的伝統由緒等は、慶安二年の記録をはじめ、断片的ながらも事実がとどめられ、その由緒の正しさを今日に伝えております。
昭和四十五年。当地調自治会発起にて社殿の整備が行われ、ともに祭礼も恒例化したことを機に心よりこの故郷の弥栄を期待し、祈願するものであります。(境内掲示より)


岸町第六天神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)