大東神明社。領家村小名大東の鎮守
大東神明社の概要
大東神明社は、さいたま市浦和区大東にある神社です。大東神明社の創建年代は不詳ながら、領家村小名大東の鎮守として奉斎されてきたといいます。明治22年に当地が木崎村に編入されたことから御室社(旧三室明神社)に合祀されたものの、昭和38年に復祀されたといいます。

社号 | 神明社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市浦和区大東1-9-16 |
祭日 | - |
備考 | - |
大東神明社の由緒
大東神明社の創建年代は不詳ながら、領家村小名大東の鎮守として奉斎されてきたといいます。明治22年に当地が木崎村に編入されたことから御室社(旧三室明神社)に合祀されたものの、昭和38年に復祀されたといいます。
「埼玉の神社」による大東神明社の由緒
神明社<浦和市大東一-九-一三(領家字大東)>
当地は近年まで領家と呼ばれ、平安時代以降の荘園領主「領家」に由来するといわれる、文献上の初見は永禄三年(一五六〇)の岩槻城主太田資正判物で、「大宮・浦和之宿、木崎・領家方」と見える。
当社の由来は明らかではないが、本殿の内には一面に小石が敷き詰められ、あたかも伊勢院宮のお白石を模倣しているかのおうである。
『風土記稿』によれば、領家村の鎮守は北隣の下木崎村にある三室明神社であった。しかし、領家村の人々は小字ごとにそれぞれの神社を奉斎し、小名大東で祀られたのが当社であった。
明治に入って当社は領家村の村社となったが、明治二三年の棟札を見ると、「神明ぐう氏子中 廿三軒」とあり、当時の領家の全戸数七十余と比較すると、旧来の大東で祀り続けてきたことがわかる。ちなみに、領家のうち字館野は八幡社を、字南箇は稲荷社を祀っていた。ところが、明治二十二年に当地が木崎村の大字として編入されたため、同四十年に旧領家村の各社は御室社(旧三室明神社)に合祀されることとなった。しかし幸いにも当社の社殿及び境内はそのまま存続されたため、その後も従来どおり大東の人々は神明社を祀り続けた。年を経て、合祀を解きたいという氏子の要望が次第に高まり、昭和三十八年の当社社殿の大改修を機に、念願であった三室社からの神霊の復祀を遂げ、併せて神社本庁に登録し、名実共に再興を果たした。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による大東神明社の由緒
(岸村)神明社
明圓寺持。(新編武蔵風土記稿より)
大東神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)