三角稲荷神社。京都の伏見稲荷を勧請
三角稲荷神社の概要
三角稲荷神社は、さいたま市浦和区本太にある神社です。三角稲荷神社の創建年代は不詳ですが、京都の伏見稲荷を勧請して創祀したといいます。また、社号の「三角」は社地の形より付したものだといいます。
社号 | 三角稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市浦和区本太3-27-1 |
祭日 | - |
備考 | - |
三角稲荷神社の由緒
三角稲荷神社の創建年代は不詳ですが、京都の伏見稲荷を勧請して創祀したといいます。
「埼玉の神社」による三角稲荷神社の由緒
本太の西端に鎮座する当社は、旧本太村の北部一帯に古くから住む石井姓と石塚姓を名乗る両一族が氏神として祀った社である。創建年代の伝えは失われてしまったが、京都の伏見稲荷からの勧請であるという。また、社名に付された「三角」については、境内地が三角形をした土地であったことに由来するという。
『風土記稿』本太村の項に「稲荷社 光台寺持」とあり、江戸期は光台寺が別当を務めていたことがわかる。更に、この光台寺については、同項に「本山修験、中尾村玉林寺の配下、医王山光膳寺と号す、本尊不動、弥陀堂」とある。同寺は明治初期までには廃寺となったようであるが、現在の元町一丁目の石井斉家がその子孫で、「ホウエン(法印)様」の屋号で呼ばれている。なお、同家も当社の氏子である石井一族の一員である。
本太の旧村社であった本太四丁目に鏡座する氷川神社の、『明細帳』によると、無格社であった当社は、明治四十年六月七日に同社に合祀されたことになっているが、昭和九年から二十年の間に同社の『明細帳』から削除され、再び当社の『明細帳』が復活している。ただし、氏子の中では当杜が氷川神社に合祀されたことや、復祀したということが実際に行われたことはなかったといわれ、あくまで書類上の操作で行われたことのようである。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による三角稲荷神社の由緒
(元太村)稲荷社
光臺寺持(新編武蔵風土記稿より)
三角稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)