平林寺跡。さいたま市岩槻区平林寺にある旧跡・名所
平林寺跡の概要
平林寺跡は、さいたま市岩槻区平林寺にある名所旧跡です。平林寺跡は、平林寺が新座市野火止に移転する前に建立されていた跡地です。平林寺は、永和元年(1375)に大田備州沙弥薀沢が開基大檀那となり、石室和尚が当地(旧金重)に開山、徳川家康が臨済寺の鉄山宗鈍禅師を平林寺へ招き、寺領50石を寄進、臨済宗の僧堂(僧侶育成機関)となった大寺です。川越藩主松平伊豆守信綱の帰依を受け、その子輝綱の代寛文3年(1663)に新座市野火止へ移転しています。
旧跡・名所名 | 平林寺跡 |
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みどころ | 旧跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | さいたま市岩槻区平林寺 |
備考 | - |
平林寺跡の縁起
平林寺跡は、平林寺が新座市野火止に移転する前に建立されていた跡地です。平林寺は、永和元年(1375)に大田備州沙弥薀沢が開基大檀那となり、石室和尚が当地(旧金重)に開山、徳川家康が臨済寺の鉄山宗鈍禅師を平林寺へ招き、寺領50石を寄進、臨済宗の僧堂(僧侶育成機関)となった大寺です。川越藩主松平伊豆守信綱の帰依を受け、その子輝綱の代寛文3年(1663)に新座市野火止へ移転しています。
さいたま市掲示による平林寺跡について
平林寺跡
平林寺は、金鳳山平林寺といい、永和元年(一三七五年)開山石室和尚、開基大檀那大田備州沙弥薀沢によって、武蔵国埼西郡渋江郷金重村に創建されました。その後、戦乱のため寺は荒廃しましたが、徳川家康は駿河国臨済寺(静岡市)の住僧鉄山を平林寺に招き住職としました。天正一八年(一五九〇年)寺領五十石を賜わりました。
元和四年(一六一八年)平林寺の檀那となった川越藩主松平伊豆守信綱は、平林寺を自分の所領内に移転しようとしたが果たせず、信綱の子輝綱が寛文三年(一六六三年)現在の新座市野火止の地へ移しました。寺領五十石は、寛文五年平林寺村から西堀村に変わりました。
平林寺の梵鐘は、嘉慶元年(一三八七年)に鋳造され、その後猿島の慶雲寺、伏木の星智寺、下妻の大宝八幡宮と流転したが、現在は大宝八幡宮に保存され、茨城県の指定文化財となっています。
岩槻区大字平林寺地区は、旧平林寺村の境内地といわれ、いつのころからか金重村から分村し、近世になると「平林寺村」と称するようになりました。地区内には、平林寺の名残として「冠木」「寺内」などの名称があります。昭和十五年平林寺跡の一隅に記念碑が建てられました。(さいたま市掲示より)
新編武蔵風土記稿による平林寺跡について
(平林寺村)
平林寺蹟
村の西にあり、寺地の廣さ四町許ありて陸田となれり、御入國の後寺領五十石を村内にて賜はりしが、松平甲斐守輝綱こひ奉り、寛文三年己が領分新座郡野火留へ引移し、同郡西堀村にて寺領を附し、今はかの地にあり。(新編武蔵風土記稿より)
平林寺跡の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
関連ページ
- 金鳳山平林寺(新座市野火止)
- 臨済宗の僧堂