鈴木家住宅。さいたま市緑区大間木にある旧跡・名所
鈴木家住宅の概要
鈴木家住宅は、さいたま市緑区大間木にある名所旧跡で国指定史跡見沼通船堀の一部です。鈴木家住宅は、享保12年(1727)より始まった見沼干拓事業に従った鈴木家の住宅で、開拓後は差配役に任ぜられ、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行っていたといいます。文政年間(1818-1831)に鈴木家が江戸通船屋敷から八丁堤へ移ったことから、この頃に鈴木家住宅が建てられたものだといいます
旧跡・名所名 | 鈴木家住宅 |
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みどころ | 史跡 |
入場時間 | 毎週土日10:00~16:00 |
入場料 | 無料 |
住所 | さいたま市緑区大間木1889 |
備考 | - |
鈴木家住宅の縁起
鈴木家住宅は、享保12年(1727)より始まった見沼干拓事業に従った鈴木家の住宅で、開拓後は差配役に任ぜられ、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行っていたといいます。文政年間(1818-1831)に鈴木家が江戸通船屋敷から八丁堤へ移ったことから、この頃に鈴木家住宅が建てられたものだといいます。
さいたま市掲示による鈴木家住宅について
鈴木家住宅
享保十二年(一七二七)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保一六年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などに通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。(さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課掲示より)
関連資料
(足立郡總説)
享保十三年井澤彌惣兵衛命を蒙りて、見沼鴻沼などいへる大地を生みて水田とし、後又元文二年堀江荒四郎荒川涯の閑地を新墾し、延享年間高入となりしにぞ、【元禄國圖】改定の時に比すれば、萬石餘の貢税を加へたり、(新編武蔵風土記稿より)
鈴木家住宅の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」