猫の足あとによる埼玉県寺社案内

弘法尊院。さいたま市中央区新中里にある真言宗智山派寺院

弘法尊院の概要

真言宗智山派寺院の弘法尊院は、二度栗山と号します。弘法尊院は、北足立八十八箇所弘法大師霊場の三番として明治36年(1903)に創建したといいます。当寺の弁財天は最近まで与野七福神の弁財天だったといいます。

弘法尊院
弘法尊院の概要
山号 二度栗山
院号 弘法尊院
寺号 -
宗派 真言宗智山派
住所 さいたま市中央区新中里3-5-29
葬儀・墓地 -
備考 -



弘法尊院の縁起

弘法尊院は、北足立八十八箇所弘法大師霊場の三番として明治36年(1903)に創建したといいます。

与野市史による弘法尊院の縁起

真言宗二度栗山弘法尊院
明治三十五年四月十五日付の井原揆一、寺尾福太郎、横田源蔵ら七名が連印した埼玉県知事木下周一宛ての「寺院創立願」によると、二度栗山は宗祖弘法大師が巡回布教の際に、草庵を結び教えを広めた場所と記されている。
この大師にゆかりの深い二度栗山霊場跡に、信徒が結集して弘法尊院と称する一院を建立することになった。
明治三十五年十月三十一日付の高野山教義所から二度栗山弘法尊院あての書状によると、寺号移転の懇請の趣旨は承知したが、院中には移転に該当する寺院は見つからないので、いずれ廃寺の申し出があるまでしばらく猶予願いたいと認めてあった。
その後、明治三十六年十二月になって大阪府下和泉国泉北郡北池田村大字室堂の極楽寺を移して弘法尊院と改称したことが、明治三十八年十二月四日付の高野山金剛峯寺座主大僧正・宥範署名の「弘法尊院縁起」によって明らかとなる。
本堂には、高野山奥院の幾星霜を経たヒノキの霊木で作り、大僧正宥範が開眼の法を修したという弘法大師坐像(像高三四センチメートル)が安置されている。そのすぐ左脇には、明治四十年五月二十八日奉納された木造の不動明王などもある。
本堂の左側に隣接している仏堂には、信徒の家一軒一軒が奉納したという小さな五百羅漢像が堂内所狭しと安置されていて感嘆せずにはいられない。
境内には明治四十一年二月二十四日に北足立郡春岡村(大宮市)六道の辻から信徒一九〇名で二度栗山へ奉還したという石像八八基のほか大正十三年に建立した二度栗山開山碑や各種記念石碑などの石造物が参道の両側に立ち並び弘法尊院の歴史を無言で教示してくれる。(与野市史より)


いいお墓

弘法尊院所蔵の文化財

  • 五百羅漢像(さいたま市指定文化財)

五百羅漢像

弘法尊院は、明治三六年(一九〇三)「北足立八十八箇所弘法大師霊場」の三番として創建されました。子供の善行を喜び、一年に二度栗の実を結ばせたと伝えられる伝説の地としても有名です。
五百羅漢像は、五一三体あります。また、段上中央には釈迦如来像、普賢菩薩像、文殊菩薩像が各一体あります。大正年間につくられた五百羅漢像は、木造漆箔の坐像と立像があります。昭和年間につくられた像は、素木の立像です。
それぞれの像が、異なった仏具を持ち、木洩れ日の中で瞑想、慈悲、ほほえみ、厳格、法悦、忍といった表情を見せています。
当時の人々の信仰や信仰圏のひろさを知る上でたいへん貴重な文化財といえます。
平成三年(一九九一)九月一九日市指定となる。(さいたま市教育委員会掲示より)

弘法尊院の周辺図

参考資料

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