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大戸不動堂。さいたま市中央区大戸にある真言宗寺院

大戸不動堂の概要

真言宗寺院の大戸不動堂は、さいたま市中央区大戸にある不動堂です。大戸不動堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された地誌新編武蔵風土記稿に記載されている「大戸村観音堂、圓能寺の持」とある観音堂の地で、観音像は当堂に安置されているといいます。明治維新後に圓能寺は廃寺となり、いつしか本尊を観音像から不動尊へ変えたもののようです。

大戸不動堂
大戸不動堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 さいたま市中央区大戸3-13-3
宗派 真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大戸不動堂の縁起

大戸不動堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された地誌新編武蔵風土記稿に記載されている「大戸村観音堂、圓能寺の持」とある観音堂の地で、観音像は当堂に安置されているといいます。明治維新後に圓能寺は廃寺となり、いつしか本尊を観音像から不動尊へ変えたもののようです。

新編武蔵風土記稿による大戸不動堂の縁起

(大戸村)
観音堂
圓能寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「与野市史」による大戸不動堂の縁起

『新編武蔵風土記稿』には記載されていないが、その位置から明治四年に廃寺になった円能寺の仏堂(観音堂)であったことはほぼ間違いない。
規模の小さな仏堂ではあるが、堂内には大戸の領主であった旗本牧野氏が先祖の供養のため奉納したものと思われる観音像七躰をはじめ十数躰の仏像が所狭しと安置されているし、境内の拾遺には数多くの石造物や石塔が群立していることからも容易に推察できる。
本尊は丸彫りの像高一二・四センチメートル(中尊坐像)の木造不動三尊像で、造立年代は比較的新しく明治維新後に造られたものと思われる。
次の木造聖観音坐像は玉眼で像高四〇・五センチメートルほどあり、旧観音堂の本尊と見做される。
江戸前期の作と推定される木造阿弥陀如来立像、江戸後期作風の木造弘法・興教両大師坐像の三躰はいずれも寄木造り・玉眼である。
また、木造阿弥陀三尊像の厨子背面には「宝永六年(一七〇九)三月吉日大戸村円能寺住宥証」などの墨書銘もあり、造立年代が確認される。
他には江戸前期と推定される寄木造り・玉眼の木造薬師如来坐像もある。
さて、先述の牧野氏奉納の木造観音菩薩坐像七躰はいずれも寄木造り・玉眼の小形のもので江戸中期初頭の作と推定される。その背面には法名等の銘文が記載されているが、それらと『寛政重修諸家譜』の記載内容を照合してみると牧野氏四代目助兵衛正友(法名宗善)、六代目伝兵衛正真(法名宗光)などの法名・没年などが一致するので、牧野氏一族が先祖の供養を兼ねて造作し、円能寺に奉納したものが、廃寺後不動堂に収められたものと考えられる。
境内に群立している石造物の中で注目されるのは寛文十三年(一六七三)造立の阿弥陀如来立像を浮き彫りにした庚申塔で、市内では二番目に古く、台座には円能坊のほか金子・岡田・宮田・細村・町田など一三名の姓名が刻まれている。
また、享保一九年(一七三四)十一月に建立された宝篋印塔基壇部四面には覚善・浄清のほか大戸村民四七名の姓名が刻まれている。
そのほか境内には江戸期の門柱型供養塔四期、箱型供養塔二基、駒型供養塔一基、道路に面した門前には庚申塔や駒型供養塔などが四基あり、群立する石塔と共に大戸村の人々の足跡がしのばれる。(「与野市史」より)


大戸不動堂の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「さいたま市史料叢書」