福厳寺。さいたま市岩槻区南下新井にある曹洞宗寺院
福厳寺の概要
曹洞宗寺院の福厳寺は、香積山と号します。福厳寺は、默堂誾喫(天文7年1538年寂)が開山したといいます。当寺が所蔵する北条家印判状は市文化財に指定されています。
山号 | 香積山 |
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院号 | - |
寺号 | 福厳寺 |
住所 | さいたま市岩槻区南下新井1682 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福厳寺の縁起
福厳寺は、默堂誾喫(天文7年1538年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による福厳寺の縁起
(下新井村)
福嚴寺
禅宗曹洞派、三ヶ村長龍寺末、香積山と號す、開山默堂誾喫天文七年四月十六日寂す、本尊は地蔵なり、
薬師堂。行基の作長五六寸
鐘樓。萬治二年鑄造の鐘なり(新編武蔵風土記稿より)
福厳寺所蔵の文化財
- 北条家印判状(市指定文化財)
北条家印判状
福厳寺は、曹洞宗に属し、戦国時代に創建され、太田資正書状の他、四通の中世文書を所蔵していたが、江戸時代寛政年間(一七八九~一八〇一)に焼失したと伝えられる。
この古文書は、焼失を免れた中世文書である。現状は上下を裁断し、巻子に仕立てられている。内容は、福厳寺と小田某の領地争いを、小田原の北条家が天正八年(一五八〇)に裁決したもので、福厳寺に残る岩槻城主太田美濃(資正)・道也(氏資)二代の文書により、福厳寺領としたものである。
この古文書は、市内に現存する唯一の北条宗家の虎朱印状であり、岩槻城主太田氏資没後(一五六七)太田領が、直接北条家の支配を受けたことを示す貴重な資料である。(境内掲示より)
福厳寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」