遍照院。市指定考古資料の地蔵図像板碑
遍照院の概要
真言宗豊山派寺院の遍照院は、法界山と号します。遍照院の創建年代等は不詳ながら、黒谷にあった金剛院末寺3ヶ寺のうちの一寺で、現在は普慶院が兼務しています。当院の地蔵図像板碑は応永11年(1404)の銘が残されたもので、市考古資料に指定されています。

山号 | 法界山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | - |
住所 | さいたま市岩槻区黒谷1802 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 大日如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
遍照院の縁起
遍照院の創建年代等は不詳ながら、黒谷にあった金剛院末寺3ヶ寺のうちの一寺で、現在は普慶院が兼務しています。
新編武蔵風土記稿による遍照院の縁起
(黒谷村)
遍照院
同末(新義眞言宗、末田村金剛院末)なり、法界山と號す、本尊大日を安、(新編武蔵風土記稿より)
遍照院所蔵の文化財
- 遍照院の地蔵図像板碑(市指定考古資料)
新編武蔵風土記稿による遍照院の縁起
当市には、五百基以上の板碑があるが、その中でも資料的に優れたものがかなりある。
この板碑は、馬込満蔵寺の地蔵碑、本町願生寺の阿弥陀来迎碑とともに、市内にある三図像碑中の傑作である。地蔵図板碑は、宝庫と言われる関東地方でも十数基しか発見されておらず、その中で時代的に六番目に位置している。銘文は、応永十一甲申年(一四〇四)義山忠公禅定門とあり、残念ながら下部と左側下部が欠損しているが、高さが一〇二センチ巾が三十三センチある。
この板碑の特徴は、一般法号が四文字であるのに七文字と荘重である点と、錫杖を右肩にかけ、踏割蓮台座に立つ陽刻である点であり、普通の陰刻と異なる極めて美術的に優れた尊容は、当市の誇る文化遺産と言えよう。
昭和四十九年九月二十六日 岩槻市教育委員会(境内掲示より)
遍照院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」