浄源寺。曽我兄弟の末裔河津三郎祐重が開基
浄源寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の浄源寺は、嵓月山と号します。浄源寺の創建年代等は不詳ながら、曽我兄弟の末裔河津三郎祐重(釋祐存僧善正)が出家して開基となり創始、慶長6年(1601)嵓月山浄源寺と号したといいます。

山号 | 嵓月山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄源寺 |
住所 | さいたま市岩槻区太田1-10-44 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄源寺の縁起
浄源寺の創建年代等は不詳ながら、曽我兄弟の末裔河津三郎祐重(釋祐存僧善正)が出家して開基となり創始、慶長6年(1601)嵓月山浄源寺と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による浄源寺の縁起
(岩槻城並城下町)浄源寺
一向宗、西本願寺の末。安寧山と号す。開山を善正と云。本尊弥陀を安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による浄源寺の縁起
当山の開基は、平家の士、曽我兄弟河津十郎祐成、五郎時政の末裔、河津三郎祐重出家して釋祐存と号し、室を安養庵と云い、浄土真宗に帰依したのに始まると伝えられ年代は不詳である。
文明三年(一四七一)火災により建物を焼失、九代釋善正のとき、慶長六年(一六〇一)西本願寺より本尊阿弥陀如来木仏と寺号を賜り嵓月山浄源寺と号し堂宇を建立した、
同十一年(一六〇六)参内して、後陽成天皇の勅により小僧都宮に任ぜられた。是を中興開山の祖と云う。
本通記には宝暦四年(一七五四)武蔵岩槻城源寺を掛所とす。又、文化年間の覚定法記巻二には浄源寺は兼帯所の願い出をして、本山より許可されていると有り、東国十三ヶ国末寺帳には御兼帯所と大岡主膳正殿領分岩槻城下浄源寺と有ります。又、境内墓所には旗本大岡與惣右衛門正成(一六四二)、正友(一六五八)の墓石が有ります。この大岡家は、幕末大奥最後の御年寄りとなった滝山(大岡権左衛門の娘)の生家であります。
現住職は、第二十四代であり、開基は不詳ながら約六百五十年の間、法灯連綿とし、平成四年(一九九二)五年の二ヶ年をかけて新本堂が完成し、平成六年十一月六日大谷光照前門主様御親修のもと、本堂落成慶讃法要が盛大に厳修されました。(境内石碑より)
浄源寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」