光秀寺。岩槻城主太田氏房の家臣三上三郎左衛門が開基
光秀寺の概要
曹洞宗寺院の光秀寺は、日峰山福萬院と号します。光秀寺は、岩槻城主太田氏房の家臣三上三郎左衛門(光秀寺玉宗禅玖禅門)が開基となり、鷲宮の霊樹寺第5世笑翁清馨禅師(元亀3年1572年寂)が永禄7年(1564)に開山したといいます。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領3石の御朱印状を受領していました。
山号 | 日峰山 |
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院号 | 福萬院 |
寺号 | 光秀寺 |
住所 | さいたま市岩槻区尾ヶ崎888 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光秀寺の縁起
光秀寺は、岩槻城主太田氏房の家臣三上三郎左衛門(光秀寺玉宗禅玖禅門)が開基となり、鷲宮の霊樹寺第5世笑翁清馨禅師(元亀3年1572年寂)が永禄7年(1564)に開山したといいます。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領3石の御朱印状を受領していました。
新編武蔵風土記稿による光秀寺の縁起
(尾ヶ崎村)
光秀寺
禅宗曹洞派、鷲宮村靈樹寺末、日峰山福萬院と號す、本尊釋迦を安ず、開山清暦元亀三年十二月二十五日寂す、開基三上三郎左衛門は、岩槻城主太田氏房の家臣たり、卒年詳ならず、法名は光秀寺玉宗禅玖禅門と云、當寺も前と同時(天正十九年)に三石の寺領を賜へり、
鐘樓。貞享二年の鐘をかく、
天神社
觀音堂
太子堂(新編武蔵風土記稿より)
光秀寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」