彌勒密寺。桓武天皇の兄開成和尚開創、関東三十六不動
彌勒密寺の概要
真言宗智山派寺院の彌勒密寺は、光岩山釋迦院と号します。彌勒密寺の創建年代等は不詳ながら、桓武天皇の兄開成和尚が開創したともいい、江戸期に掛けられていた梵鐘は寛元4年(1246)の銘が刻まれていたといいます。関東三十六不動31番です。

山号 | 光岩山 |
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院号 | 釋迦院 |
寺号 | 彌勒密寺 |
住所 | さいたま市岩槻区本町2-7-35 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 五大力尊 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
彌勒密寺の縁起
彌勒密寺の創建年代等は不詳ながら、桓武天皇の兄開成和尚が開創したともいい、江戸期に掛けられていた梵鐘は寛元4年(1246)の銘が刻まれていたといいます。
新編武蔵風土記稿による彌勒密寺の縁起
(市宿町)彌勒寺
新義真言宗、山城国醍醐三寶院の末、光岩山釋迦院と號す、本尊五大明王、當寺寛元四年鑄造の古鐘を本堂に掛たれば、舊きよりの開闢なること知らる、境内に卜部六郎季國といへる、墓碑ありし由を傳れど次第に破損して今は笠石とおぼしきもののみ殘れり、古鐘の銘は左にのす。
南閻浮提大日本國關東道武州、埼玉郡箕輪郷岩付光岩山釋迦院彌勒寺、願主法印宗典代、鑄之、施主北條相模守平朝臣重時、爲善根寄進臣慈功力此鐘、一度撞則出離三界之苦成證正覺。
維時寛元四丙午年夷則上澣
鎌倉 御鑄師 椎名伊豫守藤原吉次
當時皇矣天下泰平、國土安穏、殆庶而鎌倉騒動静謐、殊者願望成就、旨趣願文、進別紙而巳所、
十二月大祥日 謹言
清瀧権現社。
稲荷社二宇、一は瘡守稲荷と號す。
薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
彌勒密寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」