洞雲寺。さいたま市岩槻区加倉にある曹洞宗寺院
洞雲寺の概要
曹洞宗寺院の洞雲寺は、加倉山と号します。洞雲寺は、城主太田美濃守資頼が、龍穏寺の布州東幡禅師を招いて開山とし、天文元年(1532)に創建したといいます。

山号 | 加倉山 |
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院号 | - |
寺号 | 洞雲寺 |
住所 | さいたま市岩槻区加倉4-21-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
洞雲寺の縁起
洞雲寺は、城主太田美濃守資頼が、龍穏寺の布州東幡禅師を招いて開山とし、天文元年(1532)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による洞雲寺の縁起
(加倉村)洞雲寺
禅宗曹洞派、入間郡越生龍穏寺末、本尊釋迦を安ず、當寺は太田美濃守資賴の起立なり、此人天文五年四月廿日(或廿四日)卒せり、法名壽仙院知楽道可と號す、開山布州東播は天正元年十二月廿九日寂す、本尊釋迦を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
洞雲寺所蔵の文化財
- 山門(市指定有形文化財)
洞雲寺と山門
洞雲寺は、曹洞宗に属し、入間郡越生町にある龍穏寺の末寺で、本尊は釈迦如来を安置している。
言い伝えによると、昔ここに塚があって毎夜鬼火がもえ、不思議なことが続いた。そこで、城主太田美濃守資頼は、龍穏寺の布州東幡禅師のほまれ高きを聞き、師を招き二十一日間の祈禱をしてしずめた。その功を徳として禅師のために寺を建立し、加倉山洞雲寺を開山とした。また資正はこの地に隠棲し入道となり三楽斉と号した。時に天文元年(一五三二)四月のことである。
宝永年間(一七〇四~十一)の大火により当時の本堂は焼失したが、この山門だけは類焼を免れ、いくどかの修理のあとを残しているが大部分は当時のままである。
昭和三十七年九月十日市指定有形文化財(建造物)となる。(岩槻市掲示より)
洞雲寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」