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万年寺。さいたま市見沼区片柳にある曹洞宗寺院

万年寺の概要

曹洞宗寺院の万年寺は、長昌山と号します。万年寺は、越生龍穏寺七世節菴良筠(天文13年寂)を開山として永正6年(1509年)に創建、天正19年(1591)には寺領20石の御朱印状を拝領、初鹿野傳右衛門昌吉(法名花岳浄蓮居士)が中興開基だといいます。享保12年(1727)に見沼代用水の工事を指揮した井澤弥惣兵衛為永は、当寺に事務所を置いたといい、碑が残されています。

万年寺
万年寺の概要
山号 長昌山
院号 -
寺号 万年寺
住所 さいたま市見沼区片柳1-155
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



万年寺の縁起

万年寺は、越生龍穏寺七世節菴良筠(天文13年寂)を開山として永正6年(1509年)に創建、天正19年(1591)には寺領20石の御朱印状を拝領、初鹿野傳右衛門昌吉(法名花岳浄蓮居士)が中興開基だといいます。享保12年(1727)に見沼代用水の工事を指揮した井澤弥惣兵衛為永は、当寺に事務所を置いたといい、碑が残されています。

新編武蔵風土記稿による万年寺の縁起

(片柳村)萬年寺
禅宗曹洞派、入間郡龍ヶ谷村龍穏寺末、長昌山と號す、中古は長松山と記せしが、近き頃再ひ古に復して、今の如く昌の字に改しと云、當寺は永正六年の草創にて、開山は龍穏寺七世節庵良筠(竹かんむりに均)天文十三年十一月廿八日寂す、慶長年中廿石の御朱印を賜ふ、中興開基初鹿野傳右衛門昌吉と云、寛永元年十一月十五日卒す、法名花岳浄蓮居士境内に石碑を建り、葬所は土呂村の内初鹿野氏の采地にあれど、中興開基たるによりここも碑を建しと云、又昌吉の室は當寺に葬れり、捐粧心月慶芳大娣(女へんに弟)寛永元年雪月廿六日卒す、馬場美濃守娘とあり、此外傳右衛門信吉以下の墓あり。
鐘楼。寛永四年鋳造の鐘をかく。
白山社。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)


万年寺所蔵の文化財

  • 萬年寺木造釋迦如来坐像(市指定文化財)
  • 井澤弥惣兵衛為永墓

萬年寺木造釋迦如来坐像

曹洞宗の萬年寺は入間郡越生町竜穏寺の七世節菴良均を開山として一五〇九年に建立された名刹です。山号は長昌山と称し、古くは長松山とも号したといいます。歴代の住職は宗門の名僧が就任しましたので、寺風は大いに興隆したといいます。
この仏像は寺の開創よりもはるかに古い鎌倉時代中期の仏像様式により彫られ、しかもその中に藤原様式をも残しています。胎内に「承応二年」(一六五三)と墨書銘が記されていることから、この時代に一度修理されたことがうかがえます。
寄木で造られ、大きく盛り上がった肉髻、水平を示す髪際、伏目がちのうちにやや鋭い目、刀の入りは浅いけれども写実性の認められる衣紋など端正なお姿で坐しています。澄んで濁りのないまなざしから弘く衆生を救ってくださる慈悲と智慧の徳が伝わってきます。(大宮市教育委員会掲示より)

井澤弥惣兵衛為永と見沼代用水

この碑は、見沼代用水を開いた功労者・井澤弥惣兵衛為永をたたえたものです。
井澤弥惣兵衛為永は、江戸時代の寛文3年(1663)に紀伊国(和歌山県)溝口村(海南市)に生まれ、土木技術に才能を発揮し紀州藩主5代に仕えました。
その後、八代将軍徳川吉宗に招かれ、幕府勘定方に着任し、享保12年(1727)から埼玉県に広がる見沼の開発に着手しました。見沼の開発は、利根川の水を下中条(行田市)から引き入れ、距離60kmにおよぶ見沼代用水路を掘り進め周辺に新たな水田を開くという大がかりのものでした。着手してから半年という短期間で用水路を掘りあげたと伝えられています。なお、弥惣兵衛は見沼代用水の工事のため萬年寺境内に工事事務所を置いたといいます。また、見沼代用水と芝川を利用して江戸とを結ぶ水運の便をはかり、米をはじめとする物資の輸送を効果的に行えるようにしました。浦和市にある国指定史跡の閘門式運河・見沼通船堀が広く知られています。
この碑のほか利根川からの取水口近くに井沢祠、白岡町柴山常福寺には墓石があり、井澤弥惣兵衛為永の功績を現在に伝えています。現在でも見沼で工事を行う際にはこの碑に参拝して工事の安全祈願をするといわれています。
なお、弥惣兵衛は元文3年(1738)に75歳で没し、江戸麹町(東京都千代田区麹町)の心法寺に葬られています。(長昌山萬年寺掲示より)

万年寺の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」