宮ヶ谷塔観音堂。新秩父三十四ヶ所霊場
宮ヶ谷塔観音堂の概要
宮ヶ谷塔観音堂はさいたま市見沼区にある観音堂です。宮ヶ谷塔観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には、明暦年間(1655-1658)に創建した金光山正谷院(本尊不動明王)と、馬頭観音を安置した観音堂があったことが新編武蔵風土記稿に記されています。馬頭観音を安置した観音堂が新秩父三十四ヶ所霊場31番となっていたことから、明治維新後に廃寺となった金光山正谷院の什物を当地へ移したのか、廃寺となった金光山正谷院へ馬頭観音像を移したのか判然としませんが、この両寺院を併せたものと思われます。市指定文化財となっている観音堂円空作竜頭観音像他三躰は、さいたま市立博物館に寄託されています。

山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | さいたま市見沼区宮ヶ谷塔3-168 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宮ヶ谷塔観音堂の縁起
宮ヶ谷塔観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には、明暦年間(1655-1658)に創建した金光山正谷院(本尊不動明王)と、馬頭観音を安置した観音堂があったことが新編武蔵風土記稿に記されています。馬頭観音を安置した観音堂が新秩父三十四ヶ所霊場31番となっていたことから、明治維新後に廃寺となった金光山正谷院の什物を当地へ移したのか、廃寺となった金光山正谷院へ馬頭観音像を移したのか判然としませんが、この両寺院を併せたものと思われます。
新編武蔵風土記稿による宮ヶ谷塔観音堂の縁起
(宮ヶ谷塔村)
正谷院
新義真言宗、京都東山法嚴院末、金光山と號す、明暦年中の起立なり、開山隆星元禄六年十月五日寂す、本尊不動は弘法大師の作と云。
淡島社、金毘羅社、天神社
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観音堂
馬頭観音、惠心僧都の作を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
「さいたま市史料叢書」による宮ヶ谷塔観音堂の縁起
該当記載なし(「さいたま市史料叢書」より)
宮ヶ谷塔観音堂所蔵の文化財
- 観音堂円空作竜頭観音像他三躰(さいたま市指定文化財)
観音堂円空作竜頭観音像他三躰
江戸時代前期の遊行僧円空が、全国を行脚して奉納した自作の木彫の像を円空仏と呼びます。その足跡は、出身地である岐阜県をはじめとして、北海道から九州まで及んでいます。鉈とノミで一気に仕上げる荒々しい肌あいと奇抜な構成が特徴です。
大宮市内の円空仏は六三躰確認されており、県内一三〇余躰のうちの約半数を占めています。この竜頭観音は、丸太の前面に角をつけ頭部に細工したほかは、素材の持つ良さをうまく活かしています。菩薩像は、荒々しい彫りの中に温和な表情を見せています。神像は共に細長く、節や枝を効果的に利用して、円空仏の特徴の一端を見せています。(大宮市教育委員会掲示より)
宮ヶ谷塔観音堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)