二ツ宮阿弥陀堂。旧瀧光山寶蔵寺
二ツ宮阿弥陀堂の概要
天台宗寺院の二ツ宮阿弥陀堂は、さいたま市西区二ツ宮にある阿弥陀堂で、瀧光山寶蔵寺と称していた寺院趾です。寶蔵寺の創建年代等は不詳ながら中興開山は全順(宝永2年1705年寂)、明治5年に廃寺となり、本堂本尊の阿弥陀如来像を境内にあった阿弥陀堂に移したといいます。

山号 | 瀧光山 |
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院号 | 寶蔵寺 |
寺号 | - |
住所 | さいたま市西区二ツ宮 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
二ツ宮阿弥陀堂の縁起
二ツ宮阿弥陀堂は、瀧光山寶蔵寺と号していた寺院だったといい、寶蔵寺の創建年代等は不詳ながら中興開山は全順(宝永2年1705年寂)、明治5年に廃寺となり、本堂本尊の阿弥陀如来像を境内にあった阿弥陀堂に移したといいます。
新編武蔵風土記稿による二ツ宮阿弥陀堂の縁起
(二つ宮村)寶蔵寺
天台宗、水判土村慈眼寺末、瀧光山と號す、本尊阿彌陀を安ず、開詳ならず、中興開山を全順と云、寶永二年五月示寂す、
阿彌陀堂
天神社。三峰社。辨天社。(新編武蔵風土記稿より)
「さいたま市史料叢書」による二ツ宮阿弥陀堂の縁起
該当記載なし(「さいたま市史料叢書」より)
二ツ宮阿弥陀堂所蔵の文化財
- 阿弥陀堂木造阿弥陀如来坐像(大宮市指定文化財)
- 正嘉(一二五八)銘板石塔婆(大宮市指定文化財)
- 永仁五年(一二九七)銘板石塔婆(大宮市指定文化財)
阿弥陀堂木造阿弥陀如来坐像
この仏像は明治五年に廃寺になるまで阿弥陀堂の東隣に建てられていた宝蔵寺ゆかりの仏像です。念仏する者すべてを極楽浄土に導いてくれる上品下生の印を結ぶ来迎像です。来迎相の仏像は浄土来迎思想の隆盛にともない鎌倉時代独尊としても多くつくられました。
寄木造で藤原ふうの古式な様式を多分に残した鎌倉時代後期の作品ですが、後世に修理がだいぶ行われています。
昭和三十四年〜五年頃、仏像の頭内部からボロボロになった古文書が発見され、「正応(一二八八〜九三)」や「南元阿弥陀仏」などの文字が判読されました。
また、墓地には正嘉(一二五八)に造立された将棋の駒のような形の板石塔婆と彫りの鋭い永仁五年(一二九七)に造立されたものと思われる板石塔婆が残されています。駒形のものは初期のものにみられる特徴をもっており、現在市内最古のものです。永仁五年のものには阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の梵字が彫られています。ともに秩父産の緑泥片磐で造られています。
これら仏像と板碑は、ともに極楽浄土の信仰がひろまるにつれて仏教を厚く信じる在地領主によって造立されたものと考えられます。(大宮市教育委員会掲示より)
二ツ宮阿弥陀堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」