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日向不動堂。さいたま市桜区西堀にある真言宗智山派寺院

日向不動堂の概要

真言宗智山派寺院の日向不動堂は、さいたま市桜区西堀にある不動堂です。日向不動堂の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が諸国巡行の際に所持していた不動明王像を当地へ奉安、建久年間には畠山重忠が家臣真嶋日向守に命じて居城を築造、奉安されていた不動明王像を守本尊として崇敬したことから、日向不動堂を称されるようになったといいます。武州足立百不動尊霊場64番です。

日向不動堂
日向不動堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 不動堂
住所 さいたま市桜区西堀10-4
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



日向不動堂の縁起

日向不動堂の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が諸国巡行の際に所持していた不動明王像を当地へ奉安、建久年間には畠山重忠が家臣真嶋日向守に命じて居城を築造、奉安されていた不動明王像を守本尊として崇敬したことから、日向不動堂を称されるようになったといいます。

新編武蔵風土記稿による日向不動堂の縁起

(西堀村)
不動堂
日向不動と號す、長福寺持なり、縁起の略に云、往古此邊に一の悪鬼住て里民をなやましけるに、弘法大師諸国遍歴のをりからここに来り、民のなげくを憐みて、傳教大師の作れる不動の像を授く、里人是を尊崇せしより悉く安穏を得たり、故に一宇の草堂を営み彼像を安ぜり、是今の本尊なり、其後遥の星霜を経て、建久の頃畠山重忠此邊を領せし時、當所に城を築き家臣真嶋日向守をしてここに居らしめけるにより、則日向守此像を守本尊として崇敬せり、故に今も日向不動と號す、中古に至りて岩槻の城主太田家臣本間六郎氏種と云もの、天正十八年岩槻落城の時、城内を逃れでてここに来り、此堂に忍び危を免れしかば、霊験の著しきを感じ剃髪染衣となりて、終身當所に留まれり云々、此縁起の説最うけがたけれど、姑く傳のままを記せり、今村内に本間塚と云あり、則此氏種を葬し所なる由土人はいへどいかがあらん。(新編武蔵風土記稿より)

「さいたま市史料叢書」による日向不動堂の縁起

真言宗不動堂(西堀)
埼玉県管下武蔵国北足立郡西堀村字日向
真言宗 不動堂
一本尊:不動明王
一由緒:不詳
一堂:間口三間奥行三間半
一境内:五百拾四坪、民有地第四種
一信徒:百人、内木金助ノ外九十九人持
一管轄庁迄:壱里、墓地ニ付引裂願中
以上
「昭和十七年二月二十七日北足立郡土合村大字西堀真言宗医王寺ヘ所属ノ件認可ス」(「さいたま市史料叢書」より)


いいお墓

日向不動堂の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)