薬王院。北足立八十八ヵ所霊場、武州足立百不動尊霊場
薬王院の概要
真言宗智山派寺院の薬王院は、神童山と号します。薬王院は、薬師堂の薬師如来像を慶5年(1600)に開眼した日宥が開祖となり創建したといいます。北足立八十八ヵ所霊場25番、武州足立百不動尊霊場50番、武蔵東向寅薬師足立十二札所(南側)7番です。
山号 | 神童山 |
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院号 | 薬王院 |
寺号 | - |
住所 | さいたま市桜区田島5-15-5 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 大日如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
薬王院の縁起
薬王院は、薬師堂の薬師如来像を慶5年(1600)に開眼した日宥が開祖となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による薬王院の縁起
(田島村)薬王院
同宗同末(新義真言宗、輿野町圓乗院末)、神童山と號す、本尊不動を安ず。
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
薬王院所蔵の文化財
- 木造薬師如来坐像及び日光・月光菩薩立像(市指定有形文化財)
- 薬王院の鰐口(市指定有形文化財)
木造薬師如来坐像及び日光・月光菩薩立像
薬師如来坐像は、寄木造り、彫眼・漆箔で、像高三十・三㎝、膝張り二十一・八cmの小型の像です。作風は背が丸く、また大腿部が高く中央がくぼむなど、室町時代の典型的な様式を示しています。
この像の胎内や台座には多くの墨書があり、そのなかには造立年と思われる「文明三年」や「かのとう(辛宇)」(一四七一)、また、作者と思われる「民部」などの文字が読み取れます。
日光・月光菩薩立像は、一木造、彫眼・像高三十・六cm(日光)・三十一・五cm(月光)で、全体に彩色はよく残っています。台座の裏に、慶長五年(一六〇〇)の造立年、作者は長悦、開眼主田島薬王院の開祖である日宥の名が墨書されています。
三躯とも造立年が明らかで、この地で永く信仰を集めてきた仏像です。(宗教法人薬王院・さいたま市教育委員会掲示より)
薬王院の鰐口
この鰐口は、旧薬師堂向拝に懸けられていたものです。鋳銅製で、総径は三十・〇cmあります。毛彫りされている銘文から、この鰐口は休西恪という人物により延寶二年(一六七四)に薬師堂(現在の薬王院)に寄進されたもので、その際に土地の中村源夢斎と白石藤左衛門の二名が助力をしたことがわかります。
江戸時代前半の鰐口の典型を示す作例ですが、なで肩で、鼓面の膨らみが少なく、全体にすっきりとした形です。細部の処理などもあっさりとして、バランスの取れた美しさを持ちます。工芸技術的に見て貴重なものです。また、その銘文により現在所在する薬王院との関係、制作年代も明らかなため、歴史資料としての価値も高いといえます。(宗教法人薬王院・さいたま市教育委員会掲示より)
薬王院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」