赤尾諏訪神社。坂戸市赤尾の神社
赤尾諏訪神社の概要
赤尾諏訪神社は、坂戸市赤尾にある神社です。赤尾諏訪神社は、信濃国から移住した林二郎民部信興が、諏訪大社から拝領した神石を神体として創建、その創建は永正15年(1518)とも文亀2年(1502)ともいいます(林家は赤尾薬師堂を所有する赤尾下分旧名主家)。明治43年の大洪水により社殿が流失したため、赤尾下組のほぼ中央にあたる当地に遷座、天神橋近くに祀られていた稲荷社も当地へ併せて遷座しています。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | 春祭り4月9日、秋祭り8月27日 |
住所 | 坂戸市赤尾1934 |
備考 | - |
赤尾諏訪神社の由緒
赤尾諏訪神社は、信濃国から移住した林二郎民部信興が、諏訪大社から拝領した神石を神体として創建、その創建は永正15年(1518)とも文亀2年(1502)ともいいます(林家は赤尾薬師堂を所有する赤尾下分旧名主家)。明治43年の大洪水により社殿が流失したため、赤尾下組のほぼ中央にあたる当地に遷座、天神橋近くに祀られていた稲荷社も当地へ併せて遷座しています。
新編武蔵風土記稿による赤尾諏訪神社の由緒
(赤尾村)
諏訪社
同寺(村内光勝寺)の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による赤尾諏訪神社の由緒
諏訪神社<坂戸市赤尾一九三四(赤尾字林前)>
当社は坂戸市の北東部、越辺川流域の低地に位置する大字赤尾の下組に鎮座し、建御名方命を祀る。もとは越辺川のほとり(現河川敷)に奉斎されていたが、明治四三年八月の大洪水に遭い、社殿が流出したため、下組のほぼ中央である現在地に境内を移し、新たに社殿を造営して、翌四四年六月九日に遷宮が行われた。
当社の創建は、永正一五年七月とも、文亀二年とも伝え、信濃国林郷より移住した林二郎民部信興が、信濃国を離れるにあたり、諏訪神社の上社・下社に詣で、賜った神石を神霊代として祀ったことに始まる。
以来、この神石は、本殿に納められていたが、盗難を恐れて、江戸時代後期から旧家である林家で保管するようになったため、その後は鏡を安置している。
別当は真言宗光勝寺が務めていたが、明治初めの神仏分離により同寺の管理を離れ、元修験の岡部家が神職となり三代にわたって務めている。
境内末社の稲荷社は、もとは現在の天神橋近くの越辺川の堤防となっている所にあったが、当社の遷宮を機に、境内に移したものである。(「埼玉の神社」より)
赤尾諏訪神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)