赤尾八坂神社。坂戸市赤尾の神社
赤尾八坂神社の概要
赤尾八坂神社は、坂戸市赤尾にある神社です。赤尾八坂神社は、当地で疫病が流行した安永年間(1772-1781)に祇園八坂神社を勧請したと伝えられます。当初は北寄りの堤防付近に鎮座していましたが、河川改修のため昭和34年赤尾白山神社境内へ遷座しています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素盞嗚命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月15日 |
住所 | 坂戸市赤尾1668 |
備考 | - |
赤尾八坂神社の由緒
赤尾八坂神社は、当地で疫病が流行した安永年間(1772-1781)に祇園八坂神社を勧請したと伝えられます。当初は北寄りの堤防付近に鎮座していましたが、河川改修のため昭和34年赤尾白山神社境内へ遷座しています。
新編武蔵風土記稿による赤尾八坂神社の由緒
(赤尾村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による赤尾八坂神社の由緒
八坂神社<旧坂戸市赤尾一六六八(赤尾字坪ノ内)>
当社は都幾川と越辺川の合流する南岸に鎮座している。村は低地のため古くから水害にしばしば見舞われ、村人は苦労することが多かった。また、この水害は田畑を荒らすばかりでなく悪疫をはやらせる原因ともなっていた。
創立は、口碑によると安永年中で、当地に疫病がはやり、これに倒れる村人が続出したため、一同発願のもと京都東山に鎮座する八坂神社の神霊を当地に勧請したと伝える。
祭神は、素盞嗚命で、社殿には神輿が一基安置されている。この神輿は、製作年代は不明であるが、暴れ神輿と呼ばれ、何度かの修理の跡が残り、古くは疫病祓いのために揉まれていたという。
氏子区域は、村鎮守である白山神社が赤尾の中の弾正・中組・新田であるのに対し、当社は旧社格が無格社であったにもかかわらず赤尾全域になっている。このことから、古来赤尾全体にわたって疫病除けの社として信仰されていたものと考えられる。
社名については、江戸期まで牛頭天王社と称していたが、明治に入り八坂神社と改めた。また、社殿及び境内地はもと北側にある堤防の辺りの、坪ノ内という所にあったが、昭和三四年河川改修のため同地区にある白山神社の境内へ遷座した。(「埼玉の神社」より)
赤尾八坂神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)