東和田八幡神社。長岡四郎盛行の末孫が当地を開発し創建
東和田八幡神社の概要
東和田八幡神社は、坂戸市東和田にある神社です。東和田八幡神社は、源頼朝家臣の末裔長岡四郎盛行の末孫が、長岡から比企郡和田谷へ移住、さらに天正年間(1573-1592)当地へ移住し和田村を開発、村鎮守として当社を創建したといいます。明治41年北浅羽八幡神社に合祀されたものの、社殿は遥拝所として残され、祭事は続けられていたそうです。昭和52年に社殿を改築、翌53年に遷座祭が執行され還座しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | 伊弉諾尊、伊弉冉尊 |
境内社 | 天神社、稲荷社、熊野社、蛇口社 |
祭日 | 祈年祭4月4日、例祭10月16・17日 |
住所 | 坂戸市東和田190 |
備考 | - |
東和田八幡神社の由緒
東和田八幡神社は、源頼朝家臣の末裔長岡四郎盛行の末孫が、長岡から比企郡和田谷へ移住、さらに天正年間(1573-1592)当地へ移住し和田村を開発、村鎮守として当社を創建したといいます。明治41年北浅羽八幡神社に合祀されたものの、社殿は遥拝所として残され、祭事は続けられていたそうです。昭和52年に社殿を改築、翌53年に遷座祭が執行され還座しています。
新編武蔵風土記稿による東和田八幡神社の由緒
(和田村)
八幡社
村の惣鎮守なり、吉祥寺の持なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による東和田八幡神社の由緒
八幡神社<坂戸市東和田一九〇(東和田字浦耕地)>
入間・比企の郡境を流れる越辺川の南岸に、当社の鎮座する東和田がある。
当社は、社記によると、源頼朝の家臣遠峰(有道)の子孫である長岡四郎盛行の末孫が入西郡長岡村から比企郡和田谷に移住し、その後、天正年間に当地へ移り住み、和田村を開き、八幡宮を祀ったのが始めという。下って安政五年、長岡素順が社殿を改築した折に、伊奘諾尊・伊奘冉尊の二柱を配祀した。
また、『風土記稿』和田村の項には、村の総鎮守として、真言宗吉祥が別当であったことを載せている。
明治二二年、入西村に編入され、同村大字北浅羽の村社八幡神社へ字熊野の熊野神社・字蛇口の蛇口神社と共に当社は合祀された。
合祀後、旧境内地は個人所有地となったが、社殿は遥拝所として残され、毎年祭りが続けられてきた。
終戦により神社制度が廃されると、再び鎮守を祀ろうとの気運が盛り上がり、まず旧境内地を個人所有地から共有地と改め、昭和五二年の社殿改築を機に翌五三年一〇月一五日本社から元の社地に戻り、遷座祭が執行された。当日は夕刻に神体を納めた唐櫃を神職二名が担ぎ、供奉二名と氏子が続き二キロメートル余りの道のりをしずしずと警蹕の声も厳しく遷座されたという。
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八幡神社<坂戸市北浅羽二六二(北浅羽字宮地)>
明治四一年の神社合祀により東和田も氏子となっていたが、昭和昭和五三年同地区にあった八幡・天神・稲荷・熊野・蛇口の五社を返還したことに伴い、以後氏子から離れている。 (「埼玉の神社」より)
東和田八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)