北浅羽八幡神社。源頼朝の郎党浅羽小大夫が鶴岡八幡宮を勧請
北浅羽八幡神社の概要
北浅羽八幡神社は、坂戸市北浅羽にある神社です。北浅羽八幡神社は、源頼朝の郎党浅羽小大夫が当地を所領として与えられた際に、鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。江戸期には北浅羽村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41今西の熊野神社、金田の神明社、沢木の八幡神社・三島神社、東和田の八幡神社・天神社・稲荷社・熊野神社・蛇口神社の九社を合祀(終戦後、東和田の五社は還座、他の4社も現存)し、現在は北浅羽・今西・金田・沢木を氏子区域としています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 高良社、若宮八幡社、三峯神社 |
祭日 | 祈年祭3月15日、お九日10月17日前後の日曜日、新穀感謝祭11月23日 北浅羽・今西・金田・沢木が氏子区域 |
住所 | 坂戸市北浅羽262 |
備考 | - |
北浅羽八幡神社の由緒
北浅羽八幡神社は、源頼朝の郎党浅羽小大夫が当地を所領として与えられた際に、鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。江戸期には北浅羽村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41今西の熊野神社、金田の神明社、沢木の八幡神社・三島神社、東和田の八幡神社・天神社・稲荷社・熊野神社・蛇口神社の九社を合祀(終戦後、東和田の五社は還座、他の4社も現存)し、現在は北浅羽・今西・金田・沢木を氏子区域としています。
新編武蔵風土記稿による北浅羽八幡神社の由緒
(北淺羽村)
八幡社
村の鎮守なり、中央は八幡左右に天照大神・津島天王・鹿嶋明神・天神の四座を相殿とす、満福寺の持なり、當社の縁起はかの寺の記にのせたり、下に出す、
神楽堂
末社甲良明神社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による北浅羽八幡神社の由緒
八幡神社<坂戸市北浅羽二六二(北浅羽字宮地)>
当地は高麗川右岸に位置し、武蔵七党児玉党浅羽氏の本拠地として古くから栄え、万葉集にもその名を残している。
当社は、源頼朝の郎党浅羽小大夫がその功により当地と長岡・小見野・粟生田の地を拝領し、鎮めとして鶴岡八幡宮の勧請を許され、これを祀ったものという。これは寛文一〇年九月一三日に浅羽三右衛門が菩提寺であり、別当でもある真言宗満福寺に納めた願文に詳しく載る。
『風土記稿』に「村の鎮守なり、中央は八幡、左右に天照大神・津嶋天王・鹿嶋明神・天神の四座を相殿とす」とあるが、四座が合祀された由来については記録を欠き不明である。
明治五年に村社となり、同二一年には本殿・拝殿・覆屋・神楽殿の造営及び改修を行い、更に同四一年には今西の熊野神社、金田の神明社、沢木の八幡神社・三島神社、東和田の八幡神社・天神社・稲荷社・熊野神社・蛇口神社の九社を本殿内に合祀した。
境内社には高良明神・若宮八幡宮・三峰神社がある。
本殿は三間社流造りで、中央に「南都佛匠止利作」と伝えられる僧形八幡大菩薩像を安置し、左右に一三本の幣束を祀る。 (「埼玉の神社」より)
北浅羽八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)