小沼氷川神社。坂戸市小沼の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

小沼氷川神社。寶蔵寺境内に創建

小沼氷川神社の概要

小沼氷川神社は、坂戸市小沼にある神社です。小沼氷川神社の創建年代等は不詳ながら、小沼村には八幡社と(寶蔵寺境内)氷川社とが祀られていたといいます。八幡社の祀られていた越辺川寄りの地域は水害が多く、集落自体が寛永年間(1624-1645)に当地周辺へ移転、氷川社が小沼の鎮守となったといいます。明治40年八幡社、字西廊の八坂神社を合祀、村社となったといいます。

小沼氷川神社
小沼氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 神明・稲荷・琴平社
祭日 -
住所 坂戸市小沼840
備考 -



小沼氷川神社の由緒

小沼氷川神社の創建年代等は不詳ながら、小沼村には八幡社と(寶蔵寺境内)氷川社とが祀られていたといいます。八幡社の祀られていた越辺川寄りの地域は水害が多く、集落自体が寛永年間(1624-1645)に当地周辺へ移転、氷川社が小沼の鎮守となったといいます。明治40年八幡社、字西廊の八坂神社を合祀、村社となったといいます。

新編武蔵風土記稿による小沼氷川神社の由緒

(小沼村)
八幡社
古は村の鎮守にて、民家も多く此社邊に住せしが、當社は越邊川の上にあれば、水溢の患ありとて今の所へ民家を移せしより、村内實蔵寺境内の氷川明神を産神とせり、村内東光寺持。

寶蔵寺
新義眞言宗、勝呂大智寺末、氷川山と號す、本尊は不動を安ぜり。
氷川社。村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による小沼氷川神社の由緒

氷川神社<坂戸市小沼八四〇(小沼字堀ノ内)>
小沼は越辺川右岸の低地から台地に位置する。地内には弥生後期の集落跡小沼新井遺跡、古墳後期の雷電山古墳群、雷電塚古墳(県文化財)があり、さらに元暦・正和・文和・貞和・永徳などの年号を刻む板碑が各所に点在し、古くから住居地になっていたことが知られる。
口碑に「当地は慶長年間以前は二つの集落に分かれていて、越辺川の付近に一八戸が居住し八幡神社を産土の神と祀り、高台に三十数戸が居住し氷川神社を産土の神と祀る。常に両鎮守と称して崇敬されてきたが、越辺川は毎年水害を被り困難を来したために、寛永の頃高台の集落に全戸移転し、八幡神社はそのまま堤外に残した」という。
八幡神社と氷川神社の別当は、それぞれ真言宗薬王院東光寺・同宗氷川山宝蔵寺が務めていた。
明治五年の社格制定にあたり、往時から住民は両社を鎮守としてきたところから、氏子一同話し合いの上、両社に氏子が分かれ、別々に村社に申し立てたが、同四〇年に八幡神社が氷川神社へ合祀され、同時に字西廊の八坂神社も合祀された。そのため、一間社流造りの本殿には、氷川大明神像とともに騎乗の八幡大明神像を安置している。(「埼玉の神社」より)


小沼氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)