東入西神社。天神社に諸社を合祀
東入西神社の概要
東入西神社は、坂戸市戸口にある神社です。東入西神社は、当地に鎮座していた天神社に、蛇口神社・塚崎六所神社・新ケ谷稲荷神社・新ケ谷三島神社・中里大宮神社などを明治41・42年に合祀して東入西神社と改称、戸口、新ヶ谷、中里、塚崎を氏子区域としています。天神社の創建年代等は不詳ながら、かつては戸口の小名平天神に鎮座していたものを、龍福寺を開山した俊海が寛永年間(1624-1645)に当地へ遷座したと伝えられ、また蛇口神社については、俊海が法力で解脱させた蛇を祀って創建したといいます。
社号 | 東入西神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | 八幡八坂合社 |
祭日 | 春祈祷3月3日、天王様7月10日に近い日曜日、10月19日お九日 |
住所 | 坂戸市戸口452 |
備考 | - |
東入西神社の由緒
東入西神社は、当地に鎮座していた天神社に、蛇口神社・塚崎六所神社・新ケ谷稲荷神社・新ケ谷三島神社・中里大宮神社などを明治41・42年に合祀して東入西神社と改称、戸口、新ヶ谷、中里、塚崎を氏子区域としています。天神社の創建年代等は不詳ながら、かつては戸口の小名平天神に鎮座していたものを、龍福寺を開山した俊海が寛永年間(1624-1645)に当地へ遷座したと伝えられ、また蛇口神社については、俊海が法力で解脱させた蛇を祀って創建、その末社だった八幡社も地頭嶋田庄五郎重利が寛永21年(1644)にした記載されていることから、龍福寺開山に際して祀られたものと思われます。
新編武蔵風土記稿による東入西神社の由緒
(戸口村)
蛇口神社
相傳ふ昔龍福寺の前の深田に、年久しく蛇住しを、同寺の開山俊海法力を以解脱せしめ、神に祝ひて蛇口神と號すと云、神體は十二天の内の水天に似たる像なり、龍福寺の持、
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天満宮
此社は昔小名平天神に有しを、寛永年中今の地へ移せりと云、村の鎮守なり、同寺持、
末社
八幡社
神體は上差の矢の根なり、長七寸許、寛永廿一年正月廿九日地頭嶋田庄五郎重利が建立せし所なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による東入西神社の由緒
東入西神社<坂戸市戸口四五二(戸口字三谷)>
当地は高麗川の左岸の低地にあることから、川の氾濫によりしばしば水害を被った。
『風土記稿』では、江戸期に当地に祀っていた神社は「蛇口神社 相伝ふ昔竜福寺の前の深田に、年久しく蛇住しを、同寺の開山俊海法力を以解脱せしめ、神に祝ひて蛇口神と号すと云、神体は十二天のうちの水天に似たる像なり、竜福寺の持」「天満宮 此社は昔小名平天神に有しを、寛永年中今の地へ移せりと云、村の鎮守なり、同寺持、末社八幡社、神体は上差の矢の根なり、長七寸許、寛永廿一年正月廿九日地頭嶋田庄五郎重利が建立せし所なり」と載せ、このうち天満宮が当社である。
明治四一年前記の蛇口社ほか七社を合祀し、次いで同四二年に大字中里字前の大宮神社を合祀しているが、これらのうち大字塚崎字根の六所神社・大字新ケ谷字上島の稲荷神社・同字新ケ谷の三島神社の三社は、氏子が合祀を認めず、社殿が現存し、祭りも続けられている。当社は、この合祀により東入西神社と改称して、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
東入西神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)