坂戸八幡神社。片柳新田の鎮守として創建
坂戸八幡神社の概要
坂戸八幡神社は、坂戸市山田町にある神社です。坂戸八幡神社は、江戸期に開発された片柳新田の鎮守として八幡社と号して創建、明治5年には村社に列格したといいます。昭和15年坂戸飛行場建設のため、当地へ遷座したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応仁天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、山王社 |
祭日 | - |
住所 | 坂戸市山田町5-85 |
備考 | - |
坂戸八幡神社の由緒
坂戸八幡神社は、江戸期に開発された片柳新田の鎮守として八幡社と号して創建、明治5年には村社に列格したといいます。昭和15年坂戸飛行場建設のため、当地へ遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による坂戸八幡神社の由緒
(片柳新田)
八幡社
本村休臺寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による坂戸八幡神社の由緒
八幡神社<坂戸市坂戸八一八(旧片柳新田字八幡)>
当社の鎮座する片柳新田は、越辺川右岸の台地上に位置する。地内には縄文から平安期にかけての遺跡が確認されており、古くから人が居住した地域であると思われる。しかし、村が成立し、行政的に一村をなしたのは江戸期の新田開発からで、それまでは原野であった。これを開いたのが川崎平右衛門を中心とする片柳村の人たちであったため、片柳新田の名が付けられた。
このことから当社の創立は享保のころと考えられ、村人が鎮守として社を建立したものであろう。また、新田開発の地であることから作神としての信仰もあったといわれる。
祭神は、誉田別尊で、内陣に騎乗の八幡大明神像を安置している。
別当は神仏分離まで片柳村の日蓮宗休台寺が務め、明治五年には長く村鎮守であったことから村社となった。
下って太平洋戦争開戦の前年である昭和一五年二月五日には、当社は政府の政策により、社殿の移転を余儀なくされた。これは坂戸飛行場建設のためで、当時、境内地約六反を一千五百円で買収された。このため現在の神社地を坂戸市本町に住む井上とよから譲り受け、氏子二〇戸は移転のために勤労奉仕をした。村人たちは長く祭りを続けた社の敷地から戦闘機が舞いあがるのをみて、武運長久を祈ったという。(「埼玉の神社」より)
坂戸八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)