正覺山休臺寺。横田次郎兵衛が中興開基
休臺寺の概要
日蓮宗寺院の休臺寺は、正覺山と号します。休臺寺は、比企ヶ谷妙本寺住本行院日慶(天正8年1580年寂)が長柳山妙慶寺と号して開山、横田次郎兵衛(正覺院一乗日臺居士、延宝7年1679年没)が中興開基したといいます。
山号 | 正覺山 |
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院号 | - |
寺号 | 休臺寺 |
住所 | 坂戸市片柳2346 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
休臺寺の縁起
休臺寺は、比企ヶ谷妙本寺住本行院日慶(天正8年1580年寂)が長柳山妙慶寺と号して開山、横田次郎兵衛(正覺院一乗日臺居士、延宝7年1679年没)が中興開基したといいます。
新編武蔵風土記稿による休臺寺の縁起
(片柳村)休臺寺
日蓮宗、房州小湊誕生寺の末、正覺山と號す、本尊三寶祖師を安ず、開山日慶天正八年八月十三日示寂、中興開基横田次郎兵衛延寶七年正月廿三日卒す、法名正覺院一乗日臺居士と云、當寺飯盛神社の古棟札を蔵せしが、何の頃か失へる由、過去帳の端に寫を殘せり、其あらまし當所の地頭松山の旗下、恒岡入道大林軒道會日勢といへる人、三十番神を勧請せりと、又武州入西郡の内片柳郷長柳山妙慶寺日慶上人の勧請也、相州鎌倉比企ヶ谷妙本寺住本行院日慶、元亀二年辛未九月廿三日とあり、是をもて考れば往古は山號・寺號も今とは違ひしに、延寶年中中興開基横田氏の法謚を取て山號とし、其おりから寺號も改めしものなるべし、文中松山の旗下と記せるによれば、松山は則比企郡松山にて、彼恒岡大林軒と云人、もしくは松山城主上田氏の臣に恒岡氏ありてそれ等をさすにや、いまだつまびらかなるを知ず。
祖師堂。此堂は元毘沙門堂にて毘沙門を安ぜしに、近き頃傍に日蓮の像を並べ置しかば、今は祖師堂とのみ稱せり、堂の傍に元亀二年の古碑一基あり。
鍾樓。寶永五年十一月の銘を彫し鐘を掛たり。(新編武蔵風土記稿より)
休臺寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」