八葉山長久寺。市有形文化財の勝軍地蔵
長久寺の概要
真言宗智山派寺院の長久寺は、八葉山来迎院と号します。長久寺の創建年代等は不詳ながら、境内には貞治2年(1361)銘・応安5年(1372)銘の古碑が残され、争含(貞享元年1684寂)が中興開山したといいます。また、境内には勝軍地蔵が祀られ、市有形文化財に指定されています。武州八十八所霊場27番です。
山号 | 八葉山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 長久寺 |
住所 | 坂戸市浅羽1486 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | あさば幼稚園 |
長久寺の縁起
長久寺の創建年代等は不詳ながら、境内には貞治2年(1361)銘・応安5年(1372)銘の古碑が残され、争含(貞享元年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による長久寺の縁起
(上淺羽村)長久寺
新義眞言宗、石井村大智寺の末、八葉山来迎院と號す、開山の年歴詳ならず、中興開山争含は貞享元年十月四日寂せり、境内の墓所に貞治四年乙巳正月廿五日妙好禅尼、應安五年壬子三月一日と彫たる古碑二基あり、本尊大日を安。
觀音堂。
鍾樓。寶永二年の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
長久寺所蔵の文化財
- 長久寺の勝軍地蔵(坂戸市指定有形民俗文化財)
長久寺の勝軍地蔵
江戸時代の中ごろ、享保十四年(一七二九)に造られた石像です。愛宕様とよばれる塚の上に置かれ、鎧を付けた姿で武器は持たず、イノシシの背に跨った珍しい姿をしています。石像の大きさは、約六十センチメートル、二段に重ねた台石の上に置かれているため、全高では、百十センチメートルになります。
武人の姿をした守り神には、「摩利支天」と「勝軍地蔵」があります。
鎌倉時代以降、武家の間で信仰され、災いを除き、利益を与える神として、全国に広がりました。摩利支天は、甲冑姿で猪に跨り、弓矢や剣を持つのに対し、勝軍地蔵は、甲冑姿で馬に跨り、錫杖と宝珠を持つ姿が特徴です。
本寺に伝わる勝軍地蔵は、一面二臂で甲冑を着け、弓矢も剣の類も持たす、猪を自在に操るため、両手で手綱を取る非常に珍しい姿をしています。台座の右側には、江戸時代・享保十四年の造立を示す年号と、上浅羽の村名が刻まれ、左側には発願者である長久寺住職と協力者である村人二十三人の名前が記されています。
当時、田畑の作物を荒されて困った村人たちが、イノシシ退治を祈り、その信仰の表れとして、勝軍地蔵を造立したものと考えられ、村人の切実な願いを感じとることができます。
また、近隣では、鶴ヶ島市上新田の薬師堂境内に、猪の背に乗った石像が残されており、下新田や高倉にも、「愛宕大権現」と称する地蔵石像が伝わっています。(坂戸市教育委員会掲示より)
長久寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」