薬王山東光寺。中武蔵七十二薬師霊場
東光寺の概要
真言宗智山派寺院の東光寺は、薬王山浄水院と号します。東光寺の創建年代等は不詳ながら、承安元年(1171)に薬師如来像を奉安したとも、元弘3年(1333)新田義貞鎌倉攻めの際に、別所山の東に東光寺を西に西光寺を建立したとも伝えられます。中武蔵七十二薬師21番、武州八十八所霊場59番です。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 浄水院 |
寺号 | 東光寺 |
本尊 | 不動明王坐像 |
住所 | 坂戸市小沼266 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光寺の縁起
東光寺の創建年代等は不詳ながら、承安元年(1171)に薬師如来像を奉安したとも、元弘3年(1333)新田義貞鎌倉攻めの際に、別所山の東に東光寺を西に西光寺を建立したとも伝えられます。
新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起
(小沼村)寶珠寺
同宗(新義真言宗)、勝呂大智寺末、薬王山と號す、開山詳ならず、本尊不動を安ず。
薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
坂戸市掲示による東光寺の縁起
東光寺は、薬王山浄水院東光寺と称し、新義真言宗智山派大智寺の末寺であり、本尊の木造不動明王坐像は享保十八年(一七三三年)に法橋幸慶が作ったものといわれている。
当寺に関する古記録は、散逸して現在ないが、明治の末に編さんされた「三芳野村郷土指稿」に寄れば、「往古より一小池あり、幅五間、長八間にして、中に小島あり池水心の字の形をなす。老樹森立して之を続り世塵を隔絶し静閑の地なり」と記され、承安元年(一一七一年)この清浄地に薬師如来の翠影彷彿として出現し、里人恐れて深く信仰し、以来、薬師如来を本尊として日光、月光菩薩十二神将を配し、かつかたわらに愛宕権現を奉祀したと伝えられている。
しかし一説では、元弘三年(一三三三年)新田義貞鎌倉攻めの折、鎌倉街道を通り別所山で休息していたところ東と西に光を放つところがあり、そのところに寺を建てて、東光、西光の両寺としたとの伝承もあるが、いずれにしても、鎌倉街道をはさむ両寺は、往古の領主青木氏の菩提寺として、この地の信仰の中心となっていたものであろう。(坂戸市掲示より)
東光寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」