薩埵山忠栄寺。坂戸市横沼にある真言宗豊山派寺院
忠栄寺の概要
真言宗豊山派寺院の忠栄寺は、薩埵山錫杖院と号します。忠栄寺の創建年代等は不詳ながら、永仁5年(1297)の創建と伝えられ、快亮が安永年間(1772-1781)に中興したといいます。武州八十八所霊場61番です。
山号 | 薩埵山 |
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院号 | 錫杖院 |
寺号 | 忠栄寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 坂戸市横沼366 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
忠栄寺の縁起
忠栄寺の創建年代等は不詳ながら、永仁5年(1297)の創建と伝えられ、快亮が安永年間(1772-1781)に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による忠栄寺の縁起
(横沼村)忠榮寺
新義眞言宗、比企郡伊草村金乗院末、山號を傳へず、寛永の水帳には中榮寺とあり、何の頃文字を改めしや詳ならず、本尊地蔵を安。
愛宕社、天神社、辨天社。
古碑三基。一は至徳二年僧衆十二人在家十二人とあり、一は長禄三子十月廿ご日妙金禅門、一は應永二十年と彫る。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による忠栄寺の縁起
当山は本尊地蔵菩薩を安置し西に奥武蔵の連峰を望み豊かな自然に映える坂戸市横沼の勝地に位置し山号は薩埵山錫杖院忠榮寺と伝えられる。昭和十四年三月新義真言宗豊山派総本山長谷寺直末となったが、上伊草金乗院末の関係を従来通り維持し今日に至っている。
三芳野村作成の寺院明細帳に依ると由緒に「当寺古記録等傳フル無ク開基其ノ他不詳ナルモ永仁五年創立タル由古老ノ口碑ニ伝フ応安七年七月忠栄坊少僧都宥円ト記セル墓碑外数基現存ス安永年間住職快亮ハ寺門衰退ヲ復興拡張シ之ニ因リ中興開山ト称ス」等と記され、又新編武蔵風土記及び入間郡誌に「至徳二年僧衆十二人在家十二人ノ古碑其ノ他アリ」等記事が当山の推考に係る資料として参照される。尚近世に於て公立小学校の役割を果した事蹟も武蔵郡村誌の記録にみられ今に残る筆写の碑に明示されている。(境内石碑より)
忠栄寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」