松栄山高福寺。鶴ヶ島市高倉にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

高福寺。市指定文化財の不動明王画像、中武蔵七十二薬師

高福寺の概要

真言宗智山派寺院の高福寺は、松栄山と号し、現在廃寺となっています。高福寺は、当地域の開発が進んで明暦年間(1655-1658)頃には高倉・上新田・中新田・下新田の4ヶ村に分村した頃に、圓乗(元禄12年1699年寂)が開山したといいます。一旦罹災した後、享保5年(1720)に再建されたものの、後年廃寺となり、改めて不動堂が建設されたといいます。中武蔵七十二薬師8番です。

高福寺
高福寺の概要
山号 松栄山
院号 -
寺号 高福寺
住所 鶴ヶ島市高倉185
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



高福寺の縁起

高福寺は、当地域の開発が進んで明暦年間(1655-1658)頃には高倉・上新田・中新田・下新田の4ヶ村に分村した頃に、圓乗(元禄12年1699年寂)が開山したといいます。一旦罹災した後、享保5年(1720)に再建されたものの、後年廃寺となり、改めて不動堂が建設されたといいます。

新編武蔵風土記稿による高福寺の縁起

(高麗郡高倉村)
高福寺
松榮山と號す、新義眞言宗、入間郡石井村大智寺門徒なり、本尊不動を安ず、開山圓乗元禄十二年正月示寂せり、(新編武蔵風土記稿より)


高福寺所蔵の文化財

  • 高倉高福寺不動明王画像(市指定有形文化財)

高倉高福寺不動明王画像

高倉高福寺跡の不動堂には古来より不動明王の掛け軸が秘蔵されていた。
これは、縦二尺五寸(約七十六センチメートル)、横一尺二寸(約三十八センチメートル)で、台紙の和紙に絹布が張られており、その上に金泥や顔料で”右脇に制多迦童子、左脇に矜羯羅童子を従え、紅蓮の炎を背にした不動明王像”が描かれている。
かなり傷みは進んでいるが、古色蒼然とし、一見してその年代の古さを感じさせる逸品である。
かつて高福寺は不慮の災いに遭い、享保五年(一七二〇)に再建され、後年廃寺となり、その古材で不動堂が建設された。その不動堂の茅葺き屋根の天井裏に、黒くなった桐の箱に入れられて、この不動明王の掛け軸は保存されていたということである。
この不動明王の開軸は長く禁忌(タブー)とされ、「不動を見ると目がつぶれる」などと伝えられてきたため、めったに開軸する機会もなく、そのまま保存されてきた。
この掛け軸の製作年代は鎌倉時代にまでさかのぼり、部分的には平安時代の技法も感じとれる。県内でも最も古いものの一つで、作品としても極めて価値の高いものである。
なお、この画像は昭和五十九年九月、当時町教育委員会が高福寺の巻物を調査した時に発見したもので、画像の傷みがたいへんひどかったために専門家の手によって修理し額装にして保存している。(鶴ヶ島市教育委員会掲示より)

高福寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」