新町薬師堂。当地上新田村に長福寺と号していた寺院跡
新町薬師堂の概要
新町薬師堂は、鶴ヶ島市新町にある薬師堂です。新町薬師堂の創建年代等は不詳ながら、当地が江戸期に上新田村に属し、上新田村は明暦年間(1655-1658)に新墾して高倉村から分村していることから、江戸時代前期に上新田村が開村、開村に際して瑠璃山長福寺と号して創建したのではないかと考えられます。江戸時代末期の地誌・武蔵国郡村誌には長福寺の名が無く「薬師堂」となっていることから、江戸時代末期には廃寺となっていたものと思われます。中武蔵七十二薬師7番です。
山号 | 新田山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 鶴ヶ島市新町4-22 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
新町薬師堂の縁起
新町薬師堂の創建年代等は不詳ながら、当地が江戸期に上新田村に属し、上新田村は明暦年間(1655-1658)に新墾して高倉村から分村していることから、江戸時代前期に上新田村が開村、開村に際して瑠璃山長福寺と号して創建したのではないかと考えられます。江戸時代末期の地誌・武蔵国郡村誌には長福寺の名が無く「薬師堂」となっていることから、江戸時代末期には廃寺となっていたものと思われます。
新編武蔵風土記稿による新町薬師堂の縁起
(上新田村)長福寺
瑠璃山と号す、新義真言宗、郡中中山村智觀寺の末なり、本尊薬師を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
新町薬師堂所蔵の文化財
- 坂戸の薬師さま(鶴ヶ島市指定有形文化財)
坂戸の薬師さま
この薬師さまは、いまから二百年まえの安永年間にはじめられた中武蔵七十二番薬師巡拝の拾番札所で、お堂の扁額に
たのむぞよ ういの山坂 とく越して
みちびきたまえよ るりのみそのへ
の御詠歌も掲げられている。
この薬師堂のご本尊は、木彫りの立像で高さが四十五センチメートル、頭部を胴にはめこむ仕組みになっているが、その首の裏に「武州入西郡勝呂郷之内塚越村、小河新右衛門尉、法名善了旦那也、天文廿四年(一五五五)十月五日」と墨書銘があり、光背にも「享保十七年(一七三二)壬子歳十一月廿七日常福寺快応代再興之者也」と記されている。
新編武蔵風土記稿によれば、この薬師は坂戸判官則明の守り本尊で康平年間(九百年まえ)この地に安置されたと伝えられ、常福寺もまた白髭山と号して文明十二年(一四八〇)建立とあるがその所在は今日定かではない。(鶴ヶ島市教育委員会掲示より)
新町薬師堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」