安養山善能寺。鶴ヶ島市脚折町にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

善能寺。鶴ヶ島学校開校地、中武蔵七十二薬師

善能寺の概要

真言宗智山派寺院の善能寺は、安養山蓮華院と号します。善能寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と伝えられ、栄慶法印が慶長元年(1596)に中興開山、薬師堂に残されている鰐口は栄慶法印が穀断ちして慶安3年(1650)に薬師堂を建立した際に掛けられたもので、鶴ヶ島市有形文化財に指定されています。明治8年には当寺本堂が学校に供用され、鶴ヶ島学校が開校しています。中武蔵七十二薬師11番、武州八十八所霊場28番です。

善能寺
善能寺の概要
山号 安養山
院号 蓮華院
寺号 善能寺
住所 鶴ヶ島市脚折町6-3-10
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



善能寺の縁起

善能寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と伝えられ、延文元年(1356)銘の宝篋印塔などが見つかっていることから、遅くとも室町時代初期には善能寺の基盤があったのではないかといいます。その後栄慶法印が慶長元年(1596)に中興開山、薬師堂に残されている鰐口は栄慶法印が穀断ちして慶安3年(1650)に薬師堂を建立した際に掛けられたもので、鶴ヶ島市有形文化財に指定されています。明治8年には当寺本堂が学校に供用され、鶴ヶ島学校が開校しています。

境内掲示による善能寺の縁起

善能寺は安養山蓮華院善能寺と称し、真言宗智山派の寺で、本尊は阿弥陀如来である。
開山は不明であるが、慶長元年(一五九六年)に法印栄慶が中興開山したと伝えられる。
現在の本堂は天保十四年(一八四三年)の建立であり、昭和四十七年に現在地に移築されたものである。
左手にある薬師堂は享保年間(一七一六~一七三五年)の建造で、慶安三年(一六五〇年)銘の鰐口がある。堂内に安置されている薬師瑠璃光如来は寅薬師として有名で、中武蔵七十二薬師の十一番にあたり、御開帳時は非常なにぎわいである。
なお、当寺の本堂は、明治五年に学制が制定されたとき、鶴ヶ島学校の最初の校舎として使用されたもので、当時の生徒は男十九人、女三人であった。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による善能寺の縁起

(臑折村)
善能寺
安養山蓮華院と號す、新義眞言宗、入間郡石井村大智寺末なり、本尊彌陀を安ず、開山を傳へず、明和八年法流地となれり、その僧隆澄は天明四年正月廿三日示寂せり、
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大日堂
善能寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」による善能寺の縁起

大字脚折字鷹野屋敷に所在する。安養山蓮華院善能寺と号する。宗派は真言宗智山派で、総本山は智積院。本尊は阿弥陀知来。
開山開基は不明であるが、寺記によれは鎌倉時代に創立とある。付近から中世の石造遺物である板碑、延文元年(一三五六)銘の宝篋印塔などが出土していることなどから、室町時代初期には善能寺の前進となる何らかの寺堂の形は存在したと思われる。
中興記録その他によると、中興開山は慶長元年(一五九六)法印栄慶とある。栄慶の代に現存する山門を残して寺堂はことごとく焼失したとされる。栄慶は穀断ちして復興に努力し、本堂再建、薬師堂建立をなし遂げた。寺の最古の什物である薬師堂の鰐口には「御薬師幷鰐口願主穀断法印栄慶慶安三庚寅天閏十一月吉辰敬白」とある。
安永・天明の頃(一七八〇前後)の隆英法印の代には、雷電池の雨乞いにおいて効験が顕著であったと伝えられる。
明治八年に鶴ヶ島学校が開設された際には、善能寺本堂が校舎として仮用された。鶴ヶ島第一小学校の前身である。『郡村誌』には、その当時の生徒数は男一九人、女三人であったと記されている。近世のある時期から、石井(現坂戸市) の大智寺を本寺としたが、明治一四年に京都醍醐無量寿院の末寺であった大智寺が京都東山七条の智積院の門末に変わり、それに伴い善能寺も智積院を総本山とするようになった。(「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」より)


善能寺所蔵の文化財

  • 善能寺鰐口(鶴ヶ島市指定有形文化財)
  • 針売庚申塔

善能寺鰐口

安養山蓮花院善能寺、真言宗智山派の寺で、阿弥陀如来を本尊としている。
創建時等を知る資料は今のところ見当っていないが、中興記録によれば、「中興開山は慶長元年(一五九六)法印栄慶」とあり、栄慶の代に寺や堂が焼失したとある。
口伝によれば、現在の山門を残して他はことごとく焼失し、それ以前の記録は残らなかったと言われている。
善能寺の最古の什物である鰐口には「御薬師幷鰐口願主穀断法印栄慶慶安三庚寅天閏十一月吉辰敬白」という銘が記されており、これから法印栄慶が穀断の上、復興に尽力し、本堂再建、薬師堂建立等に精力的に努力したことがうかがわれる。
この鰐口は現在市内に残る同類中一番古いものと認められ、善能寺や鶴ヶ島の歴史を知るうえでたいへん貴重な文化遺産である。(鶴ヶ島市教育委員会掲示より)

針売庚申塔

脚折地内を南北に通ずる日光街道の南には才道木庚申塔が北にはここ針売庚申塔が建立され道祖神(さいどのかみ・邪霊の侵入を防ぐ神)としての役割を果してきました。中国古代の道教に干支の庚申の夜に人が眠ると身体の中の「三尸虫」がその人の日頃の罪を上帝に訴えて命を短くするとの説があります。この日は徹夜して過ごす庚申講が行われ病気平癒・商売繁盛・家内安全の願いをこめ庚申日待を行った時代があります。(針売庚申塔保存会掲示より)

善能寺の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「鶴ヶ島町史(民俗社会編)」